人間関係の亀裂は言葉から始まる|失言する可能性があるからこそ言葉は慎重に
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
お悩み解消研究家のわかです。
先日ある方と話をしていた時に、「学生時代に言われた言葉が今もずっと残っている」と言われていました。
嬉しい言葉ならよかったのですが、どうやら辛い言葉だったようです。
言葉というのは見た目には残りませんが、言われたほうはずっと覚えているものでしょう。
自覚なく傷つけている場合もありますから、言葉には注意が必要です。
今回は、言葉をかけるときに注意すべき点について考えてみたいと思います。
故意に失言する人はいない
「口は禍の元」と言われます。
何気なく出た失言から、人生を棒に振る人は数知れません。
ですから、口には気を付けなければいけないと誰もが思うところでしょう。
しかし、失言というのは計算して出てくるものではないのです。
ふいにこぼれた一言が、思わぬ形で相手を傷つけてしまうことが多いように思います。
故意に失言している人はいないのです。
では、気を付けなければいけないと分かっているのに、それでも失言してしまうのはなぜなのでしょうか。
言葉は心から出てくる
仏教では、私たちの行いを三通りに分けて教えられます。
3つとは、身業(身体の行い)、口業(口の行い)、意業(心の行い)です。
これを三業(さんごう)と言われます。
3つの中でも特に重く見られるのは心の行いである意業です。
身体の行いも、口の行いも、心で思ったことが元になっているからです。
ですから、私たちが発言することも、心で思っていることが口に出ているということなのです。
心ではどう思っているか
では、私たちは心ではどんなことを思っているでしょうか。
『歎異抄』という古典では、人間のことを「煩悩具足の凡夫」と言われています。
「具足」とはかたまりということ、「凡夫」とは人間のことですから、「煩悩でできているのが人間」ということです。
煩悩は代表的なものに欲、怒り、ねたみやそねみがあります。
これらは私たちを煩わせ、悩ませるものですが、口に出ると相手を傷つける言葉となるでしょう。
悪く思われたくないという欲の心から、ウソをついたり。
カッとなった怒りの心から、暴言を吐いたり。
相手を妬むあまり、陰口をたたいて相手を傷つけたり。
そういうことをするタネは、みんな心の中に持っているのでしょう。
煩悩は誰にでもあるものなので、誰か一定の人だけが言葉遣いを間違える、ということではないのです。
自覚すれば慎重になる
自分の心をよく見れば見るほど、失言を完全になくすのは難しいかもしれません。
しかし、失言する可能性があると自覚するからこそ、余計に気を付けるのではないでしょうか。
仮に失言をしてしまったとしても、まずいことを言ったと気づけば、すぐに謝罪することもできます。
大事なのは、言葉を発する前にそれが適切かどうかを考えること。
そして、よく自分の言葉遣いを振り返り、反省することです。
人間関係で重大な亀裂を生まないためにも、日々自分の行いをよく反省していきたいと思います。
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