機会損失とは|目に見えない損失を考える
心穏やかアドバイザーのヒロカズです。
取引先の部長に機会損失が口癖の方がありますが、機会損失の視点は時間は有限であるという思想から生まれてくるのかもしれません。
今日は機会損失について考えてみたいと思います。
機会損失とは
機会損失とは何かをやることによって生まれた「やらなかったこと」や「できなかったこと」の損失を言われます。
やったことに関する損失は目に見えますが、「やらなかったこと」や「できなかったこと」に関する損失はなかなか目が向かないでしょう。
特に人間は何かをほしくなるとそれ以外のものが見えなくなると言われます。
政治家、外交官、物理学者としてアメリカを独立に導いたフランクリンは小さい時に笛がほしくてたまらず、父親からもらったお金で笛を買いにいきました。
ところが、おもちゃ屋の店主は意地悪で、フランクリンに笛を売ったのですが、通常の値段の4倍で売ったのです。
家に帰り、フランクリンは買ってきた笛を喜んで兄弟に見せると兄弟からは「その笛なら、払ったお金で4本は買えるよ」と言われ、フランクリンはすっかりしょげてしまいました。
それを見た父親はフランクリンに「人は何か欲しくなると真価以上に高く買いすぎるものだ。よくよく気をつけねばならないよ」と諭したと言います。
それ以降、フランクリンはこの教訓を戒めとし、ストーブや避雷針の発明、図書館の開設や道路舗装など、実生活の向上に貢献したと言います。
人は何か欲しくなるとそのもの以上の価値を感じてしまい、笛を高く買いすぎてしまうのでしょう。
それにより失っているものがあることには少しも気がついていないのです。
コミュニケ―ションの機会損失
失っているものに気づく時にはまず本当にこれでいいのかどうか考える必要があります。
最近、LINEのグループ通話やネット会議室での打ち合わせが増えました。
直接、顔を合わせなくても打ち合わせができるという点が便利だと言われていますが、直接顔を合わせなくなった分、行き違いや聞き違いが増え、本番当日、トラブル対応に追われる機会が増えていると感じます。
確かに集まる為のコストは削減されましたが、当日のフォローが増えていることを考えるとコミュニケーションコストは増えてしまったのではないでしょうか?
そもそもネットの向こう側ではどんな姿で打ち合わせに参加しているかわからないので、直接会うよりも意思疎通が不十分になりがちです。
これはコミュニケーションの機会損失でしょう。
人生の機会損失
機会損失を考えるようになるのは有限であるという自覚からだと言われます。
無限に時間があると思っているうちは損失している自覚さえないのが実態だと言われます。
『武器としての決断思考』という本の中に以下の内容があります。
人間は弱い存在で、簡単に死んでしまうし、自然や社会の力によって簡単に潰されてしまう。
それでも人間が尊くあるのだとすれば、それは、おのおのが考える力を持っているからだとパスカルは言います。
私もまったくその通りだと思っています。
パスカルは難病のため、30代で死ぬ運命にありましたが、そんな彼が何もかも思うようにならない厳しい人生を生き抜くために拠って立ったこと。
それが、「自分で考える」ということでした。
人生は、なかなか自分の思うようにはいきません。
つらいときも、苦しいときもある。
でも、だからといって、人生をあきらめてしまうわけにはいかないでしょう。
なかなか実感することはむずかしいですが、人生は1回きりしかないのです。
だとしたら、どんな困難な状況、困難な時代にあったとしても、前を向いて歩いていくしかありません。そのときに必要となるのが「思考」であり、その思考をもとにした「決断」なのです。
厳しい人生を生き抜く時に必要なことは自分で考え、決断することなのでしょう。
生きて何をするのかという問いかけにはっきりした答えがないまま生きているとすれば、大きな機会損失に見舞われているのかもしれません。
有限を意識した時、生きて何をするのかという問いかけに真剣な解答が迫られます。
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