果報は寝て待てでなく練って待つとは?

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心穏やかアドバイザーのヒロカズです。

どんなに素晴らしいものがあっても紹介しなければわからない。

紹介しないことはないのと同じであるということを痛感した出来事がありました。

日頃からの準備が大事なのですね。

今日は「果報は寝て待て」ということわざから書きたいと思います。

果報は寝て待てとは

「果報は寝て待て」 という有名なことわざがありますが、皆さんは知っておられることでしょう。

「果報は寝て待て」の果報とは幸せや幸運のことですから、「果報は寝て待て」ということわざは幸せや幸運は寝て待っているとそのうちやってくる。
「棚からぼた餅」のように苦労せずに幸運がやってくることを想像する人があるかもしれません。

「棚からぼた餅」のように苦労せずに幸運がやってくるならよいのですが、 世の中そんなうまい話はありません。

人間、儲け話は人に教えたくないのが本音だと言われますから、「こうすれば簡単に儲けられますよ」という話には慎重な対応が必要でしょう。

楽して得られるものは貧と恥のみであるとも聞いたことがあるので、寝ていると幸運がやってくるということは考えにくいです。

では、幸せや幸運がむこうからやってくるということでなければ、どういうことなのでしょう?

果報は寝て待てではなく練って待てと言われる

「果報は寝て待てでなく練って待て」というのが「果報は寝て待て」のことわざの意味だと聴いたことがあります。

「ねる」は「ねる」でも「ねる」違いです。

枕を友とし、寝て待つということではなく、練って待つということです。

練るとは「計画を練る」や「練習」の「練」で使われる字ですから準備したものをさらに磨き上げること。
努力すること。
タネを蒔(ま)くことを表す字です。

幸せや幸運というものは待っていればやってくるものではなく日々の努力精進が幸せや幸運を生み出していくということでしょう。

『いつ芽が出るかを気にせず、ひたすらタネをまけばよい。

まかずに、生えてくることばかり考えている者ばかり』
(『光に向かって123のこころのタネ』)

もちろん努力精進するのは他人ではなく自分です。

「果報は寝て待て」とは日々、努力精進し、種を蒔いている人が善い縁に恵まれた時に幸せがやってくるということです。

日々、善い種まきを怠らないように勧められているのが「果報は寝て待て」ということわざなのでしょう。

反対に善い種蒔きを怠っている人は縁を逃し、大きな機会を失っているのかもしれません。

用心が大切

「マッチ一本火事のもと。火の用心」 と火元に心をかけてこそ、用心と言われます。

「果報は寝て待て」 と聞いて寝ていてもいいのかなと都合の良いように解釈してしまいがちなのが人間と知れば、善い種を蒔く時にも用心が必要なのでしょう。

(関連)「果報は寝て待て」はいつまで待つの?待っても来ないこともある?

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ヒロ☆カズ

チューリップ企画のヒロ☆カズです。 31歳で肝臓の病気にかかり、2度の入院を経験しました。朝起きて仕事に行く。休日は友人と出かけるという当たり前の日常を失い、初めて、朝起きて仕事に行けることが当たり前でないことに気が付きました。 当たり前の1日がかけがえのない1日であることに気づけば、悩みが感謝の心へ変わるのかもしれません。闘病中に読んだ本や勇気をもらったさまざまな言葉からヒントを紹介したいと思います。
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