嫌いな人と仕事をする秘訣は?|嫌いな人が親友になった「刎頸の交」(後)
こんにちは、暮らしを良くする研究家のこんぎつねです。
嫌いな人と仕事をする秘訣を学べる話が「刎頸(ふんけい)の交」です。
「刎頸の交」の語源は春秋戦国時代の国の1つである趙で起きた出来事から来ています。
前日譚を詳しく知りたい方は「嫌いな人と仕事をする秘訣は?|嫌いな人が親友になった「刎頸の交」(前)」を先にお読みください。
趙を2度救った功績を認めて、趙王は藺相如(りんそうじょ)を上卿(大臣級)の地位に就かせました。
しかしそれを快く思わない人がいました。将軍の廉頗(れんぱ)です。
命がけで戦って得た自分の地位を、口先だけの藺相如が超えたことに腹が立ったのです。
藺相如と廉頗。なぜこの2人が「お互いに頸(くび)を刎(は)ねられても後悔しない」と後世に残るほどの仲になったのでしょうか。
刎頸(ふんけい)の交
廉頗(れんぱ)は黽池(べんち)の会の4年前に秦と戦って勝ち、3年前には斉と戦って勝ち、それぞれ領土を奪った功績により上卿になりました。
(廉頗(れんぱ)も藺相如(りんそうじょ)も上卿ですが、『史記』には「藺相如は廉頗の上になった」と書かれています)
藺相如が自分の地位を超えたことに対して廉頗は甚だ不満で、
「俺は趙の将軍として戦争で手柄を立ててきた。藺相如のヤツは口が達者なだけで俺の上に就いた。しかも藺相如は元々は卑しい身分のくせにだ。あいつの指示に従うだなんて恥ずかしくてできるか。今度あいつに会ったら侮辱してやる」
と公言して憚(はばか)りませんでした。
廉頗が不満を漏らしていることを聞いた藺相如(りんそうじょ)は廉頗にできるだけ会わないようにしました。
朝廷に出仕するときは病気だと言って出ず、どうしても必要なときは廉頗のいない時を見計らって出るようにして、争いを避けました。
あるとき藺相如(りんそうじょ)が車で外出したときに向こうから廉頗(れんぱ)が来るのが見えたので、横道に入って隠れてやり過ごしました。
そんな藺相如の様子を見た家来たちは呆れるやら恥ずかしいやらで、あるとき藺相如に暇を申し出ました。
家来「藺相如(りんそうじょ)様!私たちが親戚の元を離れてあなたに仕えているのは、藺相如様の高徳をお慕いしているからです。
今、藺相如様は廉頗将軍と序列は同じです。それなのに廉頗将軍が藺相如様の悪口を言っていると聞くや、廉頗将軍を恐れて逃げ隠れ、ビクビクしてばかりです。
これは凡人でも恥じるようなことです。ましてや大臣ならなおさらなのに、あなたは恥じる様子もありません。私たちは恥ずかしくてもう耐えられません。辞めさせていただきます!」
藺相如「まあ待て。おまえたちは、廉頗将軍と秦(しん:当時の最強国)王とどちらが怖いかな?」
家来「それは秦王に決まっていますが…」
藺相如「しかし私は、おまえたちが廉頗将軍より怖いといった秦王を恐れずに叱りつけたんだぞ。廉頗将軍が怖いわけなかろう。
考えてみるとだな、あの強い秦が趙を侵略してこないのは私と廉頗将軍がいるからだ。ここで私たちがケンカをすればどちらかが死ぬことになるだろう。そうすれば秦は攻めてくる。
私が廉頗将軍を避けるのは国家のことを大事にして、個人的な恨みを後回しにしているからだ」
家来たちは敬服して頭を下げました。
この話は宮中で噂になり、廉頗(れんぱ)の耳にも入りました。
自分は間違っていたと恥じた廉頗は上半身裸になり、イバラのムチを背負って藺相如を尋ねました。(このことから心から謝罪するという意味の「肉袒負荊(にくたんふけい)」の言葉が生まれました。参考:负荆请罪)
廉頗「藺相如殿。バカで卑しい私は、あなた様がここまで寛大な心だと知りませんでした。このイバラのムチで気の済むまで私を打ってください。あなた様に与えた屈辱を思えば、これでも足りませぬ」
藺相如「いえいえ、将軍がいるからこその趙です。顔を上げてください」
廉頗「あなたのためならばこの頸(くび)が刎(は)ねられても悔いはありません」
藺相如「私も将軍のためならば喜んで頸を刎ねられましょう」
こうして2人は無二の親友となりました。
廉頗(れんぱ)と藺相如(りんそうじょ)が健在の間は秦は趙を攻めることはありませんでした。
嫌いな人と仕事をする秘訣は「愚痴」にあり
これが「刎頸の交」の語源となった出来事ですが、藺相如は廉頗が恥をかかせてやると言ったことに対して何も思わなかったわけではありません。
藺相如は「以先国家之急、而後私讎也」(国家の急を先にして、私讎(ししゅう)を後にするを以てなり)と言っています。
私讎(ししゅう)とは個人的な恨みのことです。
廉頗のせいで藺相如は、本当は行かなければならない朝廷を仮病で休まねばならなかったり、道を通るときも廉頗に会わないように常に注意をしていなければなりませんでした。
廉頗は藺相如を憎んでいましたが、藺相如も廉頗を恨んでいたのです。
仏教では恨み憎しみの心を愚痴(ぐち)と言い、悪い心だと教えられます。
お釈迦さまは「心で悪いことを思えば、それはあなたに悪い結果としてやってくるのですよ。だから他人を恨んだり憎んではいけませんよ」と言われています。
廉頗は「藺相如が口先だけで俺の上に立った」と言っていましたが、秦王に対して2回も無礼なことをしたのですから、戦場に出なくても十分命をかけています。
このように他人の努力を見ずに結果だけを見て「俺はこんなにがんばっていてもうまくいかないのに、あいつは楽してうまくいった。憎たらしい」と思う心だから「知」が入院している愚かな心で「愚痴」と言われるのです。
この「愚痴」の心で、藺相如と廉頗がケンカしていたらならば趙はすぐに秦に滅ぼされていたでしょう。
あなたの職場でも、メンバーが互いに愚痴の心に振り回されていては組織が崩壊し、あなたに悪い結果が訪れます。
嫌いな人がまったくいない職場を夢見るよりも、たとえ嫌いな人がいても個人的な恨みではなく、会社の利益、社会貢献、お客様の幸せという同じ目的に向かって、嫌いな人とも仕事をしていきたいものです。
まとめ
嫌いな人がいない職場はなかなかありません。
恨み憎しみの心を仏教では愚痴と言い「愚痴の心はあなたに悪い結果をもたらしますよ。だから他人を恨んだり憎んだりしてはいけませんよ」と教えられます。
嫌いだから一緒に仕事をしない、と恨み憎んでいてはあなたに悪い結果がやってきます。
ではどうやって嫌いな人と仕事をしていけばいいのでしょうか。
それは「刎頸の交」の藺相如(りんそうじょ)のように、個人的な恨みではなく組織の利益を優先しようとする心で接することです。
そうは言っても嫌いな人とどうやって仲良くすればいいのかと思われる方はこちらの記事が参考になるかもしれません
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こんぎつね
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