果報は寝て待てとは?|寝てばかりいても幸せにはなれない
こんにちは。人の心に寄り添うことがモットーの龍慈です 。
私は初めて『果報は寝て待て』と聞いたとき、なんて楽できていい言葉なんだろうと思いました。
果報(幸せ)は寝ていればそのうちやってくるなんて、なんて都合のいい話なのだと。
しかし、それは私のぐうたら心から出てきた非常に浅い考えだったと後でわかりました。
今回は果報は寝て待てとはどういう意味であるのか、書いていきます。
何もせず寝ていては果報はこない
もし『果報は寝て待て』が私の思っていたような、寝ていればそのうち幸せがやってくる、としたら・・・
例えば、農家の人が畑を耕したり種まきをしたりということを一切せず「まぁ果報は寝て待てというから、そんなあくせく働かずに寝ていよう」と言って一日中ゴロゴロ寝ている。
そのうちに野菜や果物が実り、収穫、そして出荷、いつの間にか大金ができていた。
・・・そんなことはありえません。
そんな話が正しいのであれば、みんな働かずに寝てばかりになってしまいます。
どれだけ待っていても、種まきをしていなければ野菜が育つことはありませんし、まして実りを収穫できることなんてあろうはずがありません。
『果報は寝て待て』の意味とは
果報はなぜやってくるのでしょうか。
それ相応の行いをしたからです。
先の例で言えば、農家の人が畑を耕したり、タネをまいたり、水をやったり、という行いをすることで、野菜を収穫できるという果報がやってくるのです。
行いをしなければ何も返ってこないのです。
ではなぜ寝て待てと言われるのでしょうか。
それは行いをしても、結果が現れるのはいつになるかわからないからです。
すぐに結果が現れるものもあれば、ずっと後になって結果が現れるものもあります。
野菜であればタネをまいてから数ヶ月で収穫できるようになりますが、木になる果物は長い年月をかけないと果実を採ることはできません。
このように物や事柄それぞれによって現れる時期が変わってくるということですから、自分が行ったことがすぐに果報となってこなくても気長に待つことだ、果報は寝て待てと言われているのです。
自分の行動が自分の運命を作る
四字熟語に『自業自得』という言葉があります。
不摂生な生活をしている人が周りの人の諌めも聞き入れず病気になったときなどに、「あんな不摂生の生活をしていたのだから、それは自業自得だよ」と言ったりします。
悪いことがおきたときに言われるイメージがありますが、自業自得なのは悪いときだけのことではありません。
元々仏教が語源の言葉で、自分のやった善悪の行いによってその人自身がその報いを受ける、という意味があり、善い結果も悪い結果もその人自身の行為によるものである、と教えられたものです。
時々「頑張ってもどうにもならないからもうやめた」と匙(さじ)を投げる人がありますが、その時はどうにもならなくとも、頑張った分は必ず果報となってその人に返ってくるのです。
人が見ている、見ていないは関係ありません。
他の人が見ていなくとも、その人の努力や頑張りという行いの果報はその人自身に返ってくるのです。
ただそれがすぐに現れるものもあれば、ずっと先に現れるものもありますので、果報は寝て待てで、善い行いに努めることが大切です。
まとめ
「果報は寝て待て」と聞いて、なぁんだそんなことか、と思われた方もあるかもしれませんが、頭で知っているのと実行できるのは大きく異なります。
どんな小さな行いの結果も自分自身に返ってきます。
目先のことばかりでなく、未来を見据えて頑張る人が幸せになれる人です。
もし「自分はけっこう頑張ってるつもりなんだけど、なかなか上手くいかなくて」という方がありましたらこちらの記事が参考になるかもしれません。
→一生懸命努力しても上達しないあなたへ|上達のための2つの時間
龍慈
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