亡くなった父親が子どもたちに遺したもの|イソップ物語の教訓
こんにちは、暮らしを良くする研究家のこんぎつねです。
先日壮年の男性が「しゅうかつについて~」と言われているのを聞き「なんでこの歳で就活の話してるんだろう」と思っていたら「就活」ではなく「終活」のことでした。
終活をいつ頃から始めるべきかについては、定年退職~70代という意見が多いようです。
終活のうちの一つが遺産相続ですが、「遺産相続は遺産争族」という言葉を聞いたことがあります。
聞くだけでどんな内容か想像がつきますが、以前弁護士の方の講演で遺産相続でものすごくモメた話を聞いたことがあります。
はっきりとは覚えていませんが、だいたいこんな話でした。
お金を遺した太郎さんの話
ある所に太郎さんという人がいました。
この方はとてもお金持ちで何億円という資産を持っていました。
その太郎さんが亡くなったため、遺産を4人の子ども(仮に一郎さん、二郎さん、三郎さん、四郎さんとします)で分配することになりました。
しかしここで均等に割っていれば良かったのですが、
一郎「自分は父さんの介護をしたんだから多くもらえるはずだ」
二郎「いやそんなことは関係ない」
三郎「おまえは父さんから家を買ってもらったんだから遠慮しろ」
四郎「兄さんこそお金のかかる私立大学に通わせてもらってたじゃないか」
などとお互いが譲らずに裁判になってしまいました。
話はまとまらず難航し続けた結果時間が過ぎ、一郎さんが亡くなってしまいました。
一郎さんには一太さんと一子さんという子どもがいましたが、一郎さんが亡くなるときに「裁判に勝てなかったことが心残りだ」と言って亡くなったため、一太さんと一子さんは「この裁判は父さんの弔い合戦だ」と引くに引けなくなりました。
また時間が過ぎ、とうとう当事者の二郎さん、三郎さん、四郎さんも亡くなってしまい、太郎さんの孫どうしでの争いになりました。
1%でも遺産が回ってくれば数百万円になるのですから決着が着かず、争いを止める人は現れませんでした。
こうしてまた時間が経ち、一郎さんの子どもである一太さんと一子さんが亡くなってしまいました。
2人にはそれぞれお子さんがいたため、争いはそのお子さん方、元の太郎さんにとっては曾孫にあたる人たちに引き継がれました。
そのうち二郎さんたちの子どももだんだんと亡くなっていき、曾孫たちが争いを継いでいくのですが、曾孫の中の一人が
「もう止めましょう。このままでは子々孫々まで争い続けることになってしまいます」
と呼びかけた結果みんな賛同し、裁判が収束したのでした。
太郎さんが亡くなってから40年が経っていました。
まさか自分の遺産が曾孫の代までのケンカの元となるとは、太郎さんも思わなかったでしょう。
仏教では欲の心を青色で表されます。
どうして欲の心を青色で表すのかと言いますと、海を想像してください。
海は浅瀬では淡い水色ですが、沖合に出ると青みが増してきます。
欲の心は海のように限りなく広くて深いと教えられますので欲の色を青で表すのです。
イソップ物語の教訓
お金を遺しても子どもたちが幸せになれないとしたら何を遺せばいいのでしょうか。
イソップ物語に「農夫とその子どもたち」という話があります。
ある所に3人の子どもをもった農夫がありました。
子どもたちは働くのが大嫌いな怠け者でした。
農夫は何とか働くことの素晴らしさを伝えたいと思っていましたが、なかなか伝えられずにいました。
その内に農夫は重い病気になってしまい、医者からは「あと数日の命だろう」と宣告をされました。
そこで子どもたちをベッドに呼び
「息子たちよ、おまえたちに隠していたことがある。実はあの畑のどこかにすごい宝が埋まっているのだ。しかし私は見つけられなかった。おまえたちはその宝を掘り当ててくれ。どこに隠されているかわからないから隅々まで掘り起こして探すんだぞ」
と言って数日後に亡くなりました。
子どもたちは
「そんなすごい宝がまさかうちに眠っていたなんて。絶対に探し当てて大金持ちになってやるぜぇ!」
と一生懸命畑を掘り返し始めました。
しかし全部掘り返しても見つかりません。
「おかしいなあ、どこにもないぞ。まだ掘っていないところがあるのか。それとももっと深くに埋まっているのかな」
とまた畑を全面掘り返しました。しかしやはり見つかりませんでした。
おかしい、どこかにあるはずだと何度も掘り返しましたが宝は見つかりませんでした。
その後収穫の時期になると今までにない大豊作となり、
「ああ、父さんが言っていた宝物というのは一生懸命働くことだったんだ。一生懸命働いたからこんなに作物が採れたんだ」
と気付きました。
この話の結論として
「Industry is itself a treasure.(労働こそが宝である)」と締めくくってあります。
亡くなったお父さんはお金を残すことはありませんでしたが、勤勉に働くことの大切さを伝えることができたのでした。
仏教で教えられる善の一つに「精進(しょうじん)」という善があり、その反対を「懈怠(けたい)」と言います。
「精進(しょうじん)」とは努力をするということで、「懈怠(けたい)」とは怠けることです。
「努力をする者は幸福になり、怠け者は不幸になる。幸福を求めるなら怠けず努力しなさいよ」とお釈迦様は教えられています。
まとめ
お金を遺して亡くなった太郎さんは「お金があれば子どもたちは幸せになれるだろう」と思って遺したのでしょう。しかし子どもたちは幸せになるどころか、兄弟を恨み憎む一生を過ごすことになりました。
子孫に伝えたいこと、本当に遺したいものは何か。イソップ物語では「勤労」でしたが、何が子どもたちの幸せになるのかを考えると、それは今大事にしているものとは違ったものかもしれません。
精進、勤勉、勤労は大切ですが、現代はがんばって畑を掘り返していれば豊かになれる時代ではありません。
同じ時間を使ってもなかなか成長しない人もあれば、多くの能力を身につける人もいます。
こちらの記事では、より多くの能力を身につけるための効率的な時間の使い方を紹介しています。
→一生懸命努力しても上達しないあなたへ|上達のための2つの時間
こんぎつね
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