誰も教えてくれない「老いとは何か?」|60代の驚きのエピソード

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こんにちは。”伝わる”技術研究家のみさきです。

下記のエピソードは、旅行会社に勤める60代後半の管理職の男性の体験談です。

「老い」とは誰しもが目を背けたくなることですが、人生を真面目に考えるキッカケとなる、心に響く驚くべき内容でしたので、紹介いたします。

「老いとは何か」を自覚させられた60代後半男性の話

ある日の夕方、電車に乗った私は、ドア近くのつり革を掴(つか)んでぼんやり窓の外を眺めていた。

「あの」と私に声をかける男性の声がしたので振り返ると、中学生くらいの男の子が小さな声で言ってきた。

「あそこの席に座ってください」

男の子が指さす先を見ると、そこはお年寄りや妊婦の方が優先される「優先席」。

そこに座っていたらしい男の子が、老人が立っていると思って譲ってくれたのだ。

「優先席」であると分かった時、それまで味わったことのないショックを受けた。

「自分は老人扱いをされるほど老いたのか」と。

唖然として、すぐに「ありがとう」と言葉が出なかった。

譲った席に座っても、まだショックが癒えず、これからの人生、どうしようかと考え込んでしまった。

「あの子はただ席を譲ってくれたというより、もっと深刻な何かをこちらに伝えてくれたのかもしれない」と今では思うようになった。

初めて年寄り扱いされた男性は、ぼんやりと遠く眺めていた「老人」が、自分の姿であることを突きつけられ、ショックだったのだと思います。

初めて「老い」を気付かされた60代女性の話

またこんな話も聞いたことがあります。ある60代の女性が言われていた話です。

その方は独身で、仕事もほかの男性以上にバリバリこなす、かっこいい女性なのですが、最近、4歳くらいの女の子が自分を指さして「あのおばあちゃんがね」と、その子の母親に話しているのを見てショックを受けたそうです。

「もうおばあちゃんなんだ」と愕然としたとのこと。

私も聞いていて驚きました。その女性は、とてもおばあちゃんという雰囲気には感じないからです。

しかしおそらくその4歳の女の子には、60代くらいのお祖母ちゃんがいて、その女の子の目からすると、60代の女性は「おばあちゃん」に見えたのでしょう。

まだ第一線で働いている多くの60代の方は、普段仕事も忙しく、若い人と一緒に仕事をしているので、老いる現実には目を向けられずにいますが、周りから「おじいちゃん」「おばあちゃん」と見られてしまうことで、はじめて自分の老いに気づかされ、戸惑いを覚えるようです。

最近は医学も発達し、アンチエイジングの技術も向上し、簡単に髪も染められます。

また、人生100年時代の到来と言われるようになりましたので、60代はまだ働き盛りです。

60代の方々を高齢者というのは失礼な時代です。

しかしやはり徐々に老いは忍び寄り、その最初の兆候は第三者からの客観的な評価です。

「おじいちゃん」「おばあちゃん」扱いされることで、初めて自分の老いに気づかされるのです。

29歳で「老い」の問題に驚いたブッダ

「老い」はいつかは向き合わなければ問題です。

人生という旅の行く先に待ち構えているのが「老い」であり、さらに「病」と「死」という問題です。

この「老」「病」「死」にどう向き合っていくか、真剣に取り組まれたのがブッダです。

ほとんどの人がかたくなに目を背ける「老い」と「病」と「死」に、いかに仏教が真面目に見つめているか、よくわかるブッダの例え話があります。

ブッダの『人間の実相』というたとえ話です。

私はこれを聞いた時に「なんてごまかしのない教えなんだろう」と思いました。

ロシアの文豪・トルストイも『人間の実相』を知り、「これ以上人間の姿を赤裸々に表した話はない。単なる作り話ではなく、誰でも納得のゆく真実だ」と称賛しています。

関心ある方はこちらをお読みください。

「命」とは私に与えられた時間それをブッダはたとえ話で教えている

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みさき

はじめまして、みさきです。 チューリップ企画で「動画で学べる仏教」を制作しています。 10年間、旅のプランニングの仕事を通して、幅広く多くの方々とお話してきました。旅には各々の想いがあり、じっくりとお話をしながら旅のお手伝いをしていきます。人と関わる中で人間関係で悩んでいる人が多いことを知りました。 8年前に仏教とご縁があり、人間の心についてずば抜けた洞察の深さに感動して、今の仕事に至っています。日常の悩みについて仏教ではどう教えられているかを発信してゆきたいと思います。
心が穏やかになった人へ
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