「夫に先立たれ私も早く逝きたい」死別の悲しみに仏教はどう向き合うか
こんにちは。こころ寄り添う研究家の九条えみです。
長年連れ添った伴侶との別れは、心にぽっかりと穴を空けることがあります。
その悲しみは生きる力を奪うほど大きなものです。
ある83歳の女性も、ご主人を亡くした辛さを切々と語られました。
夫を亡くした妻の声
「本当になぜ生きるのか。早く死にたい。生きることは大変で、早く死んだ方が勝ち!と思ってます。亭主より先に死にたいと常々思っていたのに、残されて辛いです。90歳の主人で65年も連れ添ってきました。今は主人の墓参りに行くのが楽しみです。日中は30度になるので、朝5時ごろに行きます。綺麗な空気を感じて、『あぁ、今日一日が精一杯だな。今日も生きていられる』と思って行きます。主人に向かっていつも言うことは『私だって早く逝きたい。早く連れていって』と。杖をつきながら一歩一歩、墓参りに行けなくなったら最期だなと思ってます。(83歳・女性)」
何度も何度も「早く死にたい」「生きるのが辛い」とつぶやかれていました。
それだけ、亡くなられたご主人は奥さんにとって大きな心の支えだったということです。
大切な人と死別した悲しみに、仏教ではどう向き合うのでしょうか。
人生にとって大事なことを教えてくれる
仏教にこのような言葉があります。
「無常を観ずるは菩提心(ぼだいしん)の一(はじめ)なり」
無常とは、常がなく続かないという意味です。
無常のなかでも一番激しい無常は「死」でしょう。
大切な人との死別を通して「自分もいつかは死ぬ日が来るのか」と、厳粛な気持ちにさせられます。
「無常を観ずる」の「観」は観察という字を書き、無常を凝視するということです。
自分の死を見つめると、たとえばこんな気持ちが起きてくるのではないでしょうか。
「今の平穏な生活も、死によって一瞬で壊れてしまうのか」
「今まで一生懸命に築き上げた金も地位も、家族との団らんも何もかも失ってしまうのか」
「全てをこの世において、死んだらどこへ行くのだろう」
死を前にすると、今まで頼りにし支えにしてきたもの全てが崩れてしまうことが分かります。
この現実を直視したときに、菩提心つまり本当の幸せを求めたいと思う心が起きてくるのです。
まとめ
夫を亡くした悲しみは簡単には癒えるものではないと思います。
しかし、自分もいつかは死んでいくのかと厳粛な気持ちにさせられた時、変わらない本当の幸せを求めたいという心が起きてくると言われます。
亡くなったご主人も、奥さんの幸せを願われていることでしょう。
大切な人との死別を縁として、無常の世に驚き、本当の幸せを求める第一歩とすれば、亡くなったご主人もきっと喜ばれるのではないでしょうか。
大切な人と死別して感じる孤独については「妻を亡くした悲しみから立ち直るには?孤独を救ったブッダの言葉」で紹介しています。
九条えみ
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