子供を亡くした母親との再会|子供が教えてくれた「生きる」ということ
こんにちは。”伝わる”技術研究家のみさきです。
「愛別離苦」(あいべつりく)という言葉があります。
「愛する者と別れなければならない苦しみ」のことで、私たちが生きていく中で、避けては通れない苦しみの一つです。
子供を亡くした母親との再会
つい先日、転落事故で亡くなった友人の十三回忌の法要がありました。
約5年ぶりに彼のご両親にお会いしたのですが、命日から何年経っても、子供に対する愛情の深さは変わらないことがひしひしと伝わってきました。
「時が経てば経つほど、息子への愛しさは込み上げてくる」と、寂しそうな笑顔でお母様が言われていました。
最愛の子供を失う悲しみは親にとっては、いつまでも癒えるものではないのですね。
今日が昨日の続きで、今日のような明日がまたいつものようにやってくると思ってた。
でもあの日、ほんの一瞬に起きた出来事が昨日と今日の間で、私たちの日常を大きく変えてしまった。
朝「おはよう」と言って、夜「おかえり」という会話がいかに幸せだったかということを、息子を亡くして知るなんて馬鹿よね…
途中涙ぐまれながら話をされるお母様に、どんな言葉をかけようにも薄っぺらく思えて、ただ話を聞くばかりでした。
以前、葬儀の仕事をしている義理の兄が「色々な葬儀に立ち会うけれど、子供を亡くしたご家族の葬儀ほど見るに堪えないものはない」と言っていたのがしみじみと思い返されました。
「親より先に子供が死ぬ、ということはあってはならないな」と強く感じた法事でした。
露の世とは知りながらも
そうとはいえ、無常の世の中、何があっていつ死を迎えるかは分かりません。
現に毎日、幼少の子供や20、30代の若者が、ガンや交通事故、殺傷事件などで亡くなっています。
愛する者との別れ「愛別離苦」の苦しみは、今も隣り合わせにあって、いつでも訪れ得るものなのです。
俳人 小林一茶は1歳を過ぎて愛娘を亡くし、次のような俳句を残しています。
露の世は 露の世ながら さりながら
(小林一茶)
この世は露の世のように儚(はかな)く、瞬く間に過ぎゆく。
いつ、どこで、何が起こるかわからない。
それは充分に分かってはいる、分かってはいるけれども、それでもやはり…。
「さりながら」に、流行り病であっけなく逝ってしまった愛娘に対するあまりにつらい感情があふれています。
亡くなった子供が身をもって教えてくれたこと
お母様は「10年以上経った今も息子のことを覚えていてくれてありがとう」と、私に何度も感謝されました。
そして「私たちは息子を亡くして、生涯この悲しみは癒えないけれど、私たちの子供として生まれてきてくれたことは、何ものにも変えられない幸せだった」とおっしゃっていました。
「葬儀の時、300人近くもの息子の友人や知人が来られました。きっと息子は22年の生涯の中で、これだけの人に出会い、幸せだったのでしょうね。
本当は息子が生きているときに気付くべきだったのだけれど、人生はただ過ごしていてはいけない。悲しんでばかりいたら、息子に叱られちゃうわね」と、微笑んでおられました。
「いつか息子と再会したときに喜んでもらえる親になりたい」とも、おっしゃっていました。
いろいろなことをお母さんは言われましたが、心から発する言葉はいずれも重く、忘れてはならないものでした。
胸に刻みたいなと思い、いくつか記しました。
子供を亡くして悲しむ人は、いつの時代、どこの国でも絶えることがありません。
そんな「愛別離苦」の苦しみに、お釈迦さまは「子供が姿をかけて、残された家族に大切なことを教えてくれていることがある」と教えてくださっています。
「子供を亡くした悲しみを抱える人にお釈迦さまのなされた処方とは」
みさき
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