余命宣告されたのは末期のがん患者だけではない

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心穏やかアドバイザーのヒロカズです。
知り合いのお父さんが末期の肺癌にかかって入院しました。
肺癌と聞くと昨年同じ肺癌で亡くなった父を思い出します。
残された人生を心穏やかに過ごすことを願ってやみません。

余命宣告された時の父

末期の癌でも種類やステージによって余命は違うと言われますが、余命宣告されるというのは本人にとって想像を絶する衝撃なのでしょう。

父が肺癌の宣告を受けた時、余命については医師に直接確認しました。
余命は半年、長くて1年という宣告でした。

余命宣告された父は1日20本以上吸っていたタバコをその日からやめるだけでなく、次の日から自宅の片づけを始めました。
まだ外見は健康そのものに見えるにもかかわらず、乗っていた車を売り、身辺整理を始めたのです。

後日、伯母から聞いた話によると、父は伯母に肝臓癌で亡くなった伯父が半年の余命宣告を受けてから、どのくらい生きることができたかを電話で確認していたそうです。

伯母から伯父は余命宣告された日から約1年だったということを聞き、残り2年くらいはなんとか生きていたいと思っていたようです。

余命宣告された時の友人の言葉

かつて肝炎の治療の為、電車に乗っていた時、半年の余命宣言をされた友人に会ったことがあります。
高校卒業以来、実に12、3年ぶりの再会はお互い病気の治療中でした。

彼は転職し、その後、結婚。
ところが、結婚した年に全身に癌が転移している末期の癌であることがわかりました。

治療の施しようがなく、医師から残り半年という余命宣言された彼は、医師に頼ることなく、自らの力で治療法を探し続けていると言っていました。
「なんで俺がこんな目に遭うのか。絶対に負けない。あらゆる方法を探して生き延びる」
と真剣な眼差しで語っていた姿が今も目に焼き付いています。
転職し、結婚した直後のお祝いムードは余命宣告されたことで消えてしまっていたのです。

余命宣告された時の家族の対応

余命宣告された家族と過ごす1日1日は緊迫した空気が張り詰める言葉にできない日々が続きます。
人の生死とはまさに本人だけでなく、家族にとっても戦いなのかもしれません。

父の世話は同居していた妹がしていましたが、父の闘病中は仕事と父の世話で休みがなかったことを聞いています。
父の具合が悪くなり、自宅で付き添いが必要になった時、私も2週間、自宅に戻って付き添いをしました。
容体がいつ悪化するかわからないという緊迫感は昼も夜もなく続き、心身ともに疲れ果ててしまったことを思い出します。

半年の余命宣告された父は抗がん剤の効果でその後、2年半生き続けることができました。
医師からも「どうしてここまで抗がん剤が効いているのかわからない」ということを度々聞きました。

晩年、父は宗旨である浄土真宗の教えを聞く機会に恵まれました。
「死んだ後はない」「仏教は嫌いだ」と頑なに拒んでいた父にも何か感じることがあったのでしょう。
半年の余命宣告された父が2年半も生き続けることができたのは仏祖(ぶっそ)の加護があったのかもしれません。

すべての人は生まれた時から余命宣告されている

人は必ず死んでいくということから言えば、生まれた時にすべての人は余命宣告されていると言ってもいいでしょう。
しかも、その余命宣告はいつまでなのか期限が明確には定められていません。
次の瞬間に命が終わるかもしれません。

医師から余命宣告された人は真剣に残りの人生の過ごし方を考えます。
しかし、医師から余命宣告されて人生を考えることは大事ですが、元気な時に真剣に人生を思うことがもっと必要なのではないでしょうか?

それおもんみれば、人間はただ電光・朝露の夢・幻の間の楽しみぞかし。

たといまた栄華栄耀(えいがえいよう)に耽(ふけ)りて思うさまの事なりというとも、其れはただ五十年乃至(ないし)百年のうちの事なり。

もし只今も無常の風きたりて誘いなば、いかなる病苦にあいてか空しくなりなんや。

まことに死せんときは、予(かね)てたのみおきつる妻子も財宝も、わが身にはひとつも相添うことあるべからず。

されば死出の山路のすえ・三途(さんず)の大河をば、唯一人こそ行きなんずれ。

これによりて、ただ深く願うべきは後生(ごしょう)なり、またたのむべきは弥陀如来(みだにょらい)なり、信心決定(しんじんけつじょう)して参るべきは安養(あんにょう)の浄土(じょうど)なりと思うべきなり。

(御文章(ごぶんしょう)1帖目第11通)

まとめ

この御文章は今から約500年前に書かれたお手紙だと言われていますが、500年前も現代も生まれた時に余命宣告されている姿は変わりません。
生まれた時に余命宣告されたことを知れば、1日1日、1秒1秒の意味が変わってきます。
自身の余命を見つめると人生で最も大事なことが知らされてくるに違いありません。

もっと知りたい方へ

お釈迦様物語 余命○ヵ月と宣告された時、本当になすべきことは何かを考える

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ヒロ☆カズ

チューリップ企画のヒロ☆カズです。 31歳で肝臓の病気にかかり、2度の入院を経験しました。朝起きて仕事に行く。休日は友人と出かけるという当たり前の日常を失い、初めて、朝起きて仕事に行けることが当たり前でないことに気が付きました。 当たり前の1日がかけがえのない1日であることに気づけば、悩みが感謝の心へ変わるのかもしれません。闘病中に読んだ本や勇気をもらったさまざまな言葉からヒントを紹介したいと思います。
心が穏やかになった人へ
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