亡くなった父に想う⑤|「ずーっと」を「しばらく」に変えてみる

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「生きる喜びをすべての人に」が理念のチューリップ企画で3年前から働き始めた映画事業部のヒロカズです。
今日は特別養護老人ホームに勤めている友人から聞いた話をきっかけに私の体験を話したいと思います。

友人がしみじみと語っていたこと

特別養護老人ホームに勤めている友人に会ったとき、その友人がしみじみ語っていたことがあります。

「入所の方の家族はほとんどやってこない。入所者はいつも独り。かといって家で世話をすることもできないから老人ホームにやってくる。そんな人が多い。。。」

会社では部下に囲まれ、家では家族に囲まれたお父さんの行く末としてはあまりにも悲しい現実ではないでしょうか?

ところが、今の日本で介護が必要な65歳以上は約600万人と言われています。

亡くなった父もそうだった

昨年、11月に亡くなった私の父も最後は介護が必要でした。。。

肺ガンを宣告されてからちょうど2年が経った昨年6月、抗がん剤治療の副作用からか徐々に補助がないと食事、入浴をすることができなくなっていきました。
8月31日に再入院する直前の2週間は介護がないと立ち上がることができないくらい状態が悪く、私は仕事を調整して自宅介護に行きました。
仕事柄、あまり自宅に戻ることがなかった親不孝な息子が対面した父は、食事、入浴、トイレ以外は布団から起き上がることがない悲しい姿だったことを覚えています。

医師からは熱が38度を越えたらすぐに病院に来てくださいとあったので、昼となく、夜となく妹と交代しながら、父を介護する生活が続きました。
布団から起き上がり、食事、入浴、トイレをするのに1時間以上かかる日々が毎日、毎夜続きました。
8月31日に父は再入院、それから亡くなる11月7日まで一度も自宅に戻ることはできませんでした。
自宅の父の部屋には戻ってきたら快適に過ごすことができるよう新品のエアコンを設置したのですが、一度も使用されないまま父は亡くなったのです。

今もそのエアコンは静かに父を待っています。

蓮如上人(れんにょしょうにん)の言葉

「それ、人間の浮生(ふしょう)なる相(すがた)をつらつら観ずるに」

-蓮如上人(れんにょしょうにん)-

浮生(ふしょう)とは
浮き草のように根っこのない人間の姿と、浮き草のように浮いた丸太や板切れにつかまって人生の荒波(あらなみ)を乗り切ろうとしている人間の姿について表されていると言われています。

入社した会社を勤めあげ、退職後、年金で悠々自適(ゆうゆうじてき)、好きなことをやる毎日を送っている人であっても突然の病気に襲われ健康という丸太を失うと、輝いた日常が灰色の日常に急転するのかもしれません。
病気と共に入院、介護が必要になり、老人ホームに入ると徐々に大切な家族の足が遠のいて独りぼっちになっていく人生を、受け入れられる人はどれだけあるでしょう。

まとめ(「ずーっとある」を「しばらくある」に変えてみる)

家族がいると言ってもそれはずーっといるのではなく「今しばらくいる」ということなのでしょう。
健康であると言ってもそれはずーっとあるのではなく「今しばらくある」ということなのでしょう。

「今しばらく」のものを「ずーっと続く」ように思うのは、黒いものを白いものと錯覚するよりも悲劇的なことになるのではないでしょうか?

一切のものは「ずーっとある」のではなく「しばらくある」ものだと気づくところから接し方、付き合い方が変わり、悲劇が喜劇に向かう第一歩が始まるのかもしれません。
今、あなたの目の前にいる人、目の前にあるものの認識を変えてみると思わぬ道が開けてくるのかもしれません。

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ヒロ☆カズ

チューリップ企画のヒロ☆カズです。 31歳で肝臓の病気にかかり、2度の入院を経験しました。朝起きて仕事に行く。休日は友人と出かけるという当たり前の日常を失い、初めて、朝起きて仕事に行けることが当たり前でないことに気が付きました。 当たり前の1日がかけがえのない1日であることに気づけば、悩みが感謝の心へ変わるのかもしれません。闘病中に読んだ本や勇気をもらったさまざまな言葉からヒントを紹介したいと思います。
心が穏やかになった人へ
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