「毎日が同じことの繰り返し」から抜け出すには【RADWIMPS『叫べ』の歌詞考察】

「毎日が同じことの繰り返し」

「仕事と家の往復で時間が過ぎていく」

「何か新しい趣味でも見つけないとなぁ~」

毎日が同じことの繰り返しで飽き飽きする、という声を耳にすることがあります。

「毎日が同じことの繰り返し」はホント?

たしかに、私たちの毎日は基本的に同じことの繰り返しです。

子どもも、大人も、どんな著名人も、結局は「起きて、トイレに行って、ご飯を食べて、寝る」に集約されるでしょう。

その間、仕事をしたり、家事をしたり、趣味をしたり…とそれぞれの過ごし方がありますが、昨日の自分と今日の自分が何か大きく変わったという感じはせず、同じような日常を繰り返しています。

しかし「同じような」と思っている日常は、本当に「同じ」なのでしょうか。

見方を変えると、突如、新鮮なものとして映ります。

それを表現したのが「RADWIMPS(ラッドウィンプス)」というグループの『叫べ』という歌です。

(RADWIMPSといえば、「君の名は。」をはじめ新海誠監督の映画主題歌を手がけている、あのグループです!)

今日がこれからの人生の 始まりの一日目なんだよ
昨日が今までの人生の 一番最後の日だったんだよ

朝目覚めこれからの人生の 歴史的一回目のトイレへと
またもこれから先の人生の 歴史的一歩目踏み出したんだ

(『叫べ』,作詞作曲:野田洋次郎 )

私たちは日常をカレンダーのように「1日、2日、3日・・・29日、30日」と連続した時間軸で捉えていないでしょうか。

しかし歌詞で「今日はこれからの人生の始まりの一日目 昨日が今までの人生の一番最後の日」と表現しているように、「今」に焦点を当てています

連続した時間軸では、今日が1/1ならば、昨日は12/31で、明日は1/2、明後日は1/3・・・と日常がずーっと続くような認識をしてしまいます。

しかし「今」に焦点を当てると、実は「今日」というのは人生でたった一度きりの貴重な1日であり、昨日というのは永遠に来ない人生最後の日と認識できるのです。

毎日は「同じ」どころか、今、今、今の連続であり、「今」を起点として「すべて新しい人生の一歩目」なのです。

その貴重性を歌詞の中では

「朝目覚めこれからの人生の 歴史的一回目のトイレへと
またもこれから先の人生の 歴史的一歩目踏み出したんだ」

と表現していますね。

いつでも新しい自分になれる

「毎日が同じことの繰り返し」というのは、同じ映画を何十回も何百回も観ているような気持ちになるでしょう。

「あぁ、この次はこうなるんだな」「あれをして、こうするんでしょ」と容易に想像がつき、ワクワクしないのですね。

しかし、実際は「同じ」ではないことを『叫べ』にこう表現しています。

一瞬たりとも同じ僕はいない それだけは忘れずに生きていたい
その一人一人が繋いで来た たすきを今僕は肩にかけた

昨日とは違う今日望んでも 向こうから 同じ色の明日が来ても
否が応でも 僕は違う 僕になれる

(『叫べ』,作詞作曲:野田洋次郎 )

「一瞬たりとも同じ僕はいない」とは、1秒前の自分と、今の自分、そして1秒後の自分は違うということです。

ちょうど遠くから滝を見ると一枚の白布が垂れ下がっているように見えますが、実際は1粒1粒の異なる水滴が連続で落ちているのです。

変わらない「自分」がずーっと続くように錯覚していますが、一瞬一瞬変化しているのですね。

そして「否が応でも 僕は違う 僕になれる」とあるように、

今、どんな気持ちで過ごすか

今、どんな言葉を言うか

今、どんな行いをするか

「今」どんな選択をするかで、過去の自分とは違う新しい自分になることができるのです。

「今」が大事!

林修先生が「いつやるの?今でしょ!」と言うように、私たちが生きられるのは「今」しかありません。

「今」の重要性は、2500年も前から言われていることです。

過去の因を知らんと欲すれば現在の果を見よ
未来の果を知らんと欲すれば現在の因を見よ

過去にどんな行いをしたか知りたければ、現在、現れている結果を見れば分かります
未来にどんな結果が現れるか知りたければ、現在している行いを見れば分かります

(ーブッダ)

現在の自分は、それまでの過去の自分の行いの積み重ねであり、

未来の自分は、今からの自分の行いの積み重ねであるのですね。

今の行いによって未来が作られるのですから「今」が大事なのです。

「毎日が同じことの繰り返し」の落とし穴

「毎日が同じことの繰り返し」という考えには、落とし穴があります。

全てが そこからの人生の 記念すべき一回目になんだよ
全てが そこまでの人生の 最後の一回になるんだよ

今日が 誰かの人生の 始まりの一日目なんだよ
今日が 誰かの人生の 一番最期の日だったんだよ

(『叫べ』,作詞作曲:野田洋次郎 )

「今日が 誰かの人生の 一番最期の日」とは、当たり前と思って生きている今日は、誰かの死ぬ日であったのです。

世界では1秒間に約2人が亡くなっています。

1分間に120人

1時間に7200人

1日では17万2800人が亡くなっている計算です。

島根県出雲市の人口が17万2823人ですから、毎日一つの市がまるまる消えているようなものです。

私たちはやがて必ず死ぬことを頭では分かっています。

しかし「毎日が同じことの繰り返し」と思えるのは、「死」を何十年も遠い先の未来と思っているからでしょう。

実際は「今」しか生きられませんから、死が「今の私の問題」となる時が、必ずやって来るのです。

まとめ

「毎日が同じことの繰り返し」という考え方について、歌手のRADWIMPS(ラッドウィンプス)の『叫べ』から考察しました。

「今」を起点にすると、毎日は「同じ」どころか、今、今、今の連続であり、すべてが新しい人生の始まりと言えます。

1秒前の自分と、今の自分、そして1秒後の自分は違います。

だから「今」どんな選択をするかで、過去の自分とは違う新しい自分になることができるのです。

そして、今の行いによって未来が作られるのですから「今」が大事になります。

「今」の重要性に気づくと「毎日が同じことの繰り返し」ではなく、一瞬一瞬を大事にしていこうという気持ちになります。

そして、「毎日が同じことの繰り返し」という考え方には、落とし穴があります。

「繰り返す」と思っている日常は、実は誰かの死ぬ日であり、それはそのまま「今の私の問題」となる時が、必ずやって来るのです。

たとえ今日が一番最期の日であっても、後悔しない人生を送りたいものです。

後悔しない生き方を考えたい方には、こちらの記事がおすすめです。

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後悔しない生き方には何が必要?今の積み重ねが人生を作る

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九条えみ

チューリップ企画では、お客様サポートおよびウェブでの情報発信を担当しています。仏教を学んで約10年。仏教の視点からお悩み解消のヒントをご紹介できればと思います。
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