新型コロナウイルスの拡大に「生死一如」を知らされる
こんにちは。みさきです。
先日、ニューヨークのある病院の医師が切実に新型コロナウイルスの恐怖を訴えているニュースが目に飛び込んできました。
世界一の先進国であるアメリカで医療崩壊が起きている実態を訴えるものでした。
「毎日400人もの感染者を診察し、30〜50代の若い世代も重症化している」
「何の持病もなかった健康な人が、2週間後に亡くなっている」
「医療機器が足りず、助けられない命がある」
「自分たちもいつ感染するかわからない不安と闘っている」と切実さが伝わってくる表情と口調でした。
中でも心に残ったのは「準備が甘かった、遅かった」との言葉でした。
自分も同じだなと思い知らされたからです。
生と死は一つの如し
新型コロナウイルスの拡大もどこか他人事で、まさか日本はニューヨークのようなことにはならないだろう、と思ってしまっています。
おそらく惨状を訴えたニューヨークの医師も、あれは中国のこと、あれはイタリアのこと、アメリカは大丈夫と油断していたのだと思います。それがわずか数日で医療崩壊となり、どうして準備してこなかったのか、と後悔したのでした。
仏教に「生死一如(しょうじいちにょ)」という言葉があります。
「生と死は一つの如し」
「生きる」ことと「死ぬ」ことは紙の表と裏のような密接不離な関係で、常に「生」と背中合わせにあるのが「死」なのですよ、とお釈迦様が教えられた言葉です。
私はこの言葉を最初に聞いたときに、本当だなあ、死を忘れてはいけないんだなぁ、と感動したのですが、それでもいつも目の前の日常に追われ、「死」は常に他人事としか思えません。
「自分が死ぬことなんて、考えたこともない」「死んだら死んだ時さ」と受け流してしまっています。
そんな死に対して油断だらけの自分にも、ある日、必ず訪れるのが「死」です。
否応なしに「死」と目を向けさせられる時があります。
その時にどうして準備してこなかったのか、なぜ毎日を大切に生きてこなかったのか、と悔やむ未来の自分が、そのニューヨークの医師と重なり、ドキッとしました。
このたびの新型コロナウイルスは、死に対して常に他人事で生死の一大事を忘れている私に「次はあなたの番かも知れませんよ」と警笛を鳴らして知らせてくれているのだ、と胸にとどめ、真摯に生きていきたいと思います。
あなたの心が少しでも軽くなり、心穏やかになりますように。
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