「生きるためだけに働いてるな、生きてるなぁ」と思う時に、まず大切な生きる方角
こんにちは、こころ寄り添う研究家の九条えみです。
先日、会社でこんなお電話を受けました。
71才になり、人生を振り返ったとき、今まで自分は何か目的を持っていたのか?と考え、『家族を養うため、生きるためだけに働いてきただけだ』と思いました。趣味もあり、色んな人と付き合ってきましたが、現実逃避のような形だったと思います。生きる意味、人生とは、自分とは、ということが頭から離れなくなっています。(東京都 71歳・男性)
家族を養うために一生懸命働いてこられたのですね。
忙しいと目の前のことをこなすだけで、頭がいっぱいになってしまいます。
この方が「生きるためだけに働いてきた」と言われるのは、言葉を変えると、生きるために生きてきたということでしょう。
「生きるために生きる」
これについて、今回は取り上げてみたいと思います。
生きるために生きるはナンセンス?
当社で『月刊なぜ生きる』を扱っている関係で、たまにこんなことを言われる方があります。
「『なぜ生きる』って書いてあるけど、生まれてきたからには生きなくちゃいけない。だから生きているんだ」
私も、死ねないから生きていくのだろうと思っていた時期がありましたので、珍しい意見ではないと思います。
しかし、1万年堂出版発行の『なぜ生きる』という書籍の中に考えさせられる文章がありました。
「苦しいのに、なぜ生きねばならぬのか」と悩んでいる人は、「生きることが人生の目的」と言われても、失望するだけではないでしょうか。答えになっていないからです。なぜ答えにならないのか。
たとえば「なぜジョギングするの?」とたずねて、「体力をつけるため」と言われれば、誰でもわかりますが、「ジョギングするためにジョギングしている」と答えられたら意味不明です。「なぜ塾通いをするか」に「大学に合格するため」なら納得できても、「塾に通うために塾に通う」では、ナンセンスというほかないでしょう。
「なぜ生きるか」の問題に、「生きるために生きる」の解答は、言葉の意味からいってもおかしいのです。(『なぜ生きる』より)
(イラスト / 『月刊なぜ生きる』令和元年12月号より)
生きるとは、ただ毎日を消化することではなく、生きる目的を知りそこに向かって生きることを言うのだと思いました。
生きるとは「どこ」に向かって?
生きる目的を知るために、まず考えたいことが、私たちはどこに向かって日々生きているのかということです。
それについて一休が詠んだこんな歌があります。
門松は 冥土の旅の 一里塚
めでたくもあり めでたくもなし(一休)
冥土(めいど)とは、死んだ後の世界のことです。
門松は正月をたとえたものでしょう。正月に顔を合わせると皆「おめでとう」「おめでとう」と祝っていますが、1年生きたということは、1年大きく冥土へ近づいたことになるのです。
一休が、人生を冥土への旅と詠んだとおり、生きるとは死に向かっての行進です。
旅立つってどこに?
死ぬことを「旅立つ」と表現しますが、どこへ旅立つのかはハッキリしていません。
自分の未来がハッキリしないと不安になると言われます。
たとえば、見知らぬ土地に行くときは不安な気持ちになります。
大学に進学し親元離れて見知らぬ土地で一人暮らしをする心境は期待もありつつ、やはり不安です。
初めての海外旅行であれば、言葉は通じるのか、日本と同じように買い物したり寝泊まりしたりできるのか、何か犯罪に巻き込まれないだろうか・・・など色々な不安が出てきます。
この世のことであれば、インターネットでさくっと検索して、事前に情報を仕入れることができます。
情報があれば見知らぬ土地での自分の行動をイメージしやすくなりますから、不安感は減少するでしょう。
しかし、旅立った先はどうなっているのか?
何もかも無くなってしまうのか、それとも別の世界で目が覚めるのか・・・。
誰にでも必ずやってくる100%確実な未来がどうなっているのか。未知の一言に尽きます。
未来が今に影響を与える
仏教では「死んだらどうなるか」未知の世界に入っていく不安が、いまの不安の大元であると言われます。
それは、未来の明暗と今の明暗は切り離せない関係にあるからです。
未来が暗いと今から不安になり、未来に楽しいことが待っていれば、今から心は踊ります。
たとえば、1週間後に手術を控えた人に、今日だけでも楽しくやろうと酒や料理を振舞っても、未来が暗いため心からは楽しめないでしょう。
反対に無事に手術が終わって、医者から「もう大丈夫。完全に治りました」と言われたならば、未来が明るいですから豪勢な料理でなくても美味しくいただくことができるでしょう。
100%確実な未来が明るく楽しい世界だと分かれば、今から安心して生きることができます。
人生は死に向かっての行進なので、心から安心満足して生きるためには、死後の世界を明るく楽しくすることが根本の解決になると仏教では教えられます。
死んだ後を気にするのは、100%確実な未来をうすうす予感しているからなのでしょう。
そこからこんな疑問が起きてくることがあります。
「死んだらどこへ行くのかな?死ぬって怖いな」と思ったことのある方へ
九条えみ
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