平和で豊かな現代でなぜ命の価値が揺らいでいるのか?|戦時中と比較して
こころ寄り添う研究科の九条えみです。
最近、戦時中の軍部関係者を取材した本を読んでいます。
戦前・戦後で価値観が大きく異なることを感じてはいましたが、一端を知る思いです。
戦時中の命の価値観
戦争体験記などを読むと、文字通り多くの犠牲の上に生かされた命であることが伝わってきます。
特攻隊に志願したある兵士が、出身中学の校長に次のような手紙を送られていたそうです。
全校生徒を予科練へ志願させることは無意味であります。
生徒ひとりひとりの能力に応じた道へ進ませてください。
この戦争で死ぬのは私たちだけで十分なのです (テレビ朝日「報道ステーション」より)
特攻兵の思いを汲んで「俺たちが行くから後はお前たちが日本の国を平和にしてくれ守ってくれ」と番組に出演した男性は語られていました。
いつ死んでもおかしくない状況で、「与えられた命は当たり前ではない」と深く胸に刻み込まれたことでしょう。
70代以上の戦争を目の当たりにされた方々とお話しして強く感じるのは、生きることへの感謝の思いが強いことです。
「命に感謝して、人生を全うすることが人間として生まれた使命である」
と、精一杯生きておられます。
「生きている」が当たり前になった現代
元号が変わり「平成」は戦争のない時代として、歴史に刻まれました。
私も戦争を知らない平成生まれです。
生まれた時から、冷蔵庫・洗濯機・自動車などはそろっていたので、生きる上での物質的な不自由さはピンとこない感覚です。
生命危機がない安全な環境に生きていると、
冷蔵庫に食べ物があって当たり前
財布にお金が入っていて当たり前
教育を受けられて当たり前
「生きている」ことは当たり前
という感覚になってしまいがちです。
生きていることが当たり前になると、どのような人生観になるのでしょうか。
当たり前には「感謝」「大切」という感覚が生まれない
私たちは「当たり前」と思うことに価値を感じることはありません。
たとえば、水を例に考えてみましょう。
水は水道水の蛇口をひねれば当然のように出てきます。
だから、歯磨きをしているときに出しっぱなしにしても、平気な顔でいます。
しかし、震災などで断水してしまったらどうでしょうか?
使える水は2リットルのペットボトルに入った水だけ。
しかも次の給水がいつあるかは分かりません。
この2リットルの水を家族4人で使うとなれば、一人当たり500ミリリットルです。
500ミリリットルのペットボトルをぐびぐび飲んでいても、このような状況下であれば、一口一口を大切に飲むでしょう。
絶対に水を無駄にしないよう、飲むペースを考えて、万が一にもこぼしたりしないよう慎重に扱います。
このように「限りがあり」しかも「重要な意味を持つもの」に価値を感じます。
そして、価値を感じるものは大切に扱います。
平和な時代の「命」の価値を考える
物のない時代と比べ、物質的に豊かになった現代は、「生きている」ことは当たり前になりました。
生きていることが当たり前になると、その命を大切にしようとはなかなか思えません。
大切でないものは、ついつい無駄遣いをしてしまいます。
その象徴が「ひまつぶし」でしょう。
スマホやゲームなど、一人でも手軽に、しかも安価で、それなりに楽しめる手段は世にあふれています。
ひまつぶしは英単語では「kill time」と書きます。
直訳で「時間を殺す」という意味です。
ひまつぶしとは、消極的な自殺行為とも言えます。
こういう人生観で生きていると、何か苦しいこと、辛いこが起きた時に、ハズレくじを捨てるように命を投げ出してしまうかもしれません。
物質的に豊かになり戦争のない現代は、命の価値が揺らぎやすい状況にあると言えましょう。
生活は便利になったが「なにか違う」「どこかむなしい」と子供から高齢者まで気づき始めているのではないでしょうか。
揺らぐ命の価値に、2500年以上も前から「命は尊い」と教えらえているのが仏教です。
下の記事では「なぜ命は尊いのか?」その根拠をお釈迦さまのお言葉を通して書いています。
「生まれてこなければよかった」は大間違い|仏教で言われるその理由は?
「死にたい、死なせて下さい」この声を聞かれたお釈迦さまの答えは
九条えみ
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