『「死」とは何か』を読んで|人生において死を考える必要はあるのか
こんにちは。”伝わる”技術研究家のみさきです。
昨年10月、世界的なベストセラー『「死」とは何か』が日本で書籍化されました。
世界最高峰の大学であるアメリカのイェール大学で23年トップの人気講義の教授が、講義の内容を一冊の本にまとめたものです。
「死は悪いのか」
「永遠に生きるほうが幸せなのか」
「死んだら身体は滅びるが、魂はどうなるのか」など
死について様々な角度から問答しながら、本は展開していきます。
こういう本が世界中でベストセラーとなり、日本でも売り上げランキング入りしていることから、死について考える人が少なくないのがわかります。
今回は、私たちに「死」について考える必要はあるのか、書いてみたいと思います。
目次
死についてどう考えますか?
多くの人の「死」についての考え方は、次の2つに分かれると思います。
①「死を考えたら暗くなるだけ、今を楽しく生きることが大事」
②「死ぬ命と知るからこそ、生きている一日一日を大切に生きられるようになる」
それぞれどんな考え方か、もう少しくわしく言うと、
①死を考えたら暗くなるだけ、今を楽しく生きることが大事
「死のことを考えても生産性がない、暗くなるだけだ」
「死んだ人間に会った人はいないのだから、考えても仕方ないよ」
「死んだら死んだ時さ」という考えです。
「死」を考えるのは不毛だ、という考え方です。
私も以前は①のように「今を楽しく生きることが大事」だと思っていました。
死ぬことなんて考えてもしょうがない、どうせいつか死ぬし、くらいに思っており、死を見つめることに何の意味も感じませんでした。
ところが哲学の本や自己啓発の本を読むようになって、多くの人が死を見つめることに意味がある、と語っていることを知りました。
それが②です。
②死ぬ命と知るからこそ、生きている一日一日を大切に生きられるようになる
自分の死を想像することで、本当に人生を大切にできるようになる、という考え方です。
例えば、死んでしまえば大切な人と二度と会えません。
今、当たり前のように自分のそばにいてくれる人ともいつか別れなければならないのです。
それを自覚した時に、人は大切な人とのかけがえのない時間を大切にしようと思うようになるでしょう。
やがて死がやってくる、命は有限なんだと気付くと、一日一日を大切に生きようという自覚が生まれます。
20世紀を代表する哲学者の一人、ハイデガーは死と生についてこう述べています。
人は、いつか必ず死ぬということを思い知らなければ、生きているということを実感することもできない
(ハイデガー)
ふだん同じことの繰り返しをただこなし、暇になるとスマホやテレビなどを見て時間を潰しているのが私たちですが、いつか死がやってくることを意識すると、今という時間を大切にするようになります。
限られた人生の中で何を優先すべきか考えて行動するようになるのです。
第③の死についての考え方
「死」について①、②の考え方があり、多くの人がそれぞれの言葉でそれを語っており、そういうものなんだと思っていました。
ところが仏教を学ぶようになって、死について全く別の考え方があることを知り、驚きました。
仏教では「人は死んだらどうなるか」ということを問題としています。
「死んだらどうなるか」とは、私たちが死んだ後、死後はどうなるかということです。
しかも仏教は問題提起だけに留まらず、「死んだらどうなるか」の問題を解決することを目的にしています。
仏教を学んでいくうちに、仏教の死に対する考え方は「死んだらどうなるかがハッキリすれば、いつ死んでも人生に悔いなしになる」というものだと知りました。
仏教で教えられている死生観について関心のある方は、こちらの記事がお勧めです。
みさき
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