幸福感を得るには何が必要?幸せの本質について考える
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
お悩み解消研究家のわかです。
先日、ツイッターを見ていたらこんな投稿がありました。
ある日、投稿者の息子さんが、お金持ちの家の子と一緒に焼き肉を食べに行ったそうです。
息子さんは普通においしいと思って食べていましたが、帰り道で、友達はあんまりおいしくなかったと言っていたのだとか。
投稿者さんが、「あんまりいい肉食べさせてなくて悪いね」と言うと、息子さんから「なんで?俺のほうが幸せじゃない?」と言葉が返ってきたそうです。
この投稿を見て、たしかにそうなのかもしれないと感じました。
今回は幸福感について考えてみたいと思います。
アメリカ人と現地人の小話
私はこの投稿を見たときに、ある小話を思い出しました。
紹介したいと思います。
所はある南の国。登場人物はアメリカ人と現地人。
ヤシの木の下で、いつも昼寝をしている男をつかまえて、アメリカ人が説教する。
「なまけていずに、働いて金をもうけたらどうだ」
男がジロリと見あげて言う。
「金をもうけて、どうするのだ」
「銀行に預けてふやせば、大きな金になる」
「大きな金ができたら、どうする」
「立派な家を建て、もっと金ができれば、暖かい所に別荘でも持つか」
「別荘を持って、どうするのだ」
「別荘の庭のヤシの下で、昼寝でもするよ」
「オレはもう前から、ヤシの下で昼寝をしている」(『光に向かって100の花束』(1万年堂出版)より)
幸せとは何か、考えさせられる話です。
お金がある人のほうが幸せなのか?
冒頭の投稿の話で、おそらく友達は、いつも家で高級なおいしい肉を食べているのでしょう。
それ自体は羨まれる幸せなことなのかもしれません。
しかし、欲というのは、満たせばどんどん膨らんでいくもの。
おいしいお肉にもやがて慣れてきて、もっと上のものを求めるようになります。
ましてや、安い肉ではもう満足できないようになってしまうのです。
対して、いつも安い肉を食べている人は、そのままで十分おいしいと思えるでしょう。
たまに高級な肉を食べることができたら、喜びも大きくなるはずです。
この点をみると、一般的な生活をしている人のほうが幸福感を得ているのかもしれません。
「モノに恵まれること=幸せ」ではない
私たちは、お金やモノはないよりもあったほうがいいと思っています。
だからこそ、毎日頑張って働くのです。
恵まれているほど幸せになれると思っている人も多いのではないでしょうか。
ところが、これまで書いてきたように、お金やモノに恵まれることが必ずしも幸せにつながるとは限らないようです。
仏教を説かれたお釈迦様は、「有無同然(うむどうぜん)」と教えられています。
モノが有っても無くても、幸せになれていないことに変わりはない、という意味です。
無ければ無いで不満や不便を感じ、有れば有ったでやはり不満や不自由さも感じている。
モノがあるからといって、幸福感が得られるわけではないのです。
一番大事なのは心
なぜ、どれだけのものを手に入れても幸福感が得られないのでしょうか。
それは、暗い心があるからだと仏教では教えられています。
たとえば、風邪で寝込んでいるときにどんなご馳走を並べられても、喜べません。
しかし、風邪が治って健康になれば、たとえ白ご飯と漬物だけでもおいしく食べることができます。
そのように、心が暗い間は、何を手に入れても心からの喜びがないのです。
ですから、この暗い心をどうにかするのが一番大切だと言われています。
暗い心とその解決方法を教えられたのが仏教なのです。
まとめ
お金やモノに恵まれている人を見ると、羨む心が出てきます。
しかし、世の中を見ていると、お金があるからといって幸福感が高いわけではないようです。
お釈迦様はこれを「有無同然」と説かれました。
心からの幸福感を得るためには、私たち一人一人にある暗い心を明るい心に変えることが大切だと教えられています。
わか
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