目標を達成するとむなしくなる?|燃え尽き症候群になった皇帝・司馬炎(後)
こんにちは、暮らしを良くする研究家のこんぎつねです。
前回の記事目標を達成するとむなしくなる?|燃え尽き症候群になった皇帝・司馬炎(前)では、頑張って努力をしていた最中で急にやる気が失われてしまう「燃え尽き症候群」の実例として晋の皇帝・司馬炎(しばえん)の天下統一までの話を紹介しました。
中国が魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)に分かれて争っていた三国時代。
100年続いた戦乱の世は、魏を内側から乗っ取った晋(しん)の皇帝・司馬炎(しばえん)が呉を滅ぼして天下統一したことで終わりを迎えます。
今回は天下統一後の司馬炎の様子を「燃え尽き症候群」の観点から見てみたいと思います。
燃え尽き症候群になった?
呉を滅ぼして天下統一し、100年の戦乱に終止符を打った司馬炎は燃え尽き症候群になったのか、その後急にやる気がなくなってしまいました。
そのころ北方の異民族が南下して中国の漢民族と問題を起こすようになっていたため、異民族を北に戻すよう家臣から提案されても司馬炎はこれを無視してしまいます。
また、官職をお金で売り買いする「売官」を皇帝である司馬炎自らが行って私腹を肥やしたため、それをマネして多くの官吏の間で賄賂がはびこりました。
女性関係では、元々後宮には5000人の女性がいたのですが、呉の皇帝・孫晧が囲っていた後宮の女性5000人をそのまま移して1万人を収容する広大な後宮を作り上げました。
余りに数が多いので自分では女性を選ばず、毎夜羊に引かせた車に乗って後宮を回り、羊が止まった場所にある部屋の女性と一晩を共にするようにしました。
もちろん維持費は税金です。
そのためせっかく戦乱が終わったのに、民衆は重税に苦しめられることになりました。
さらに後継者問題では、優秀な弟・司馬攸(しばゆう)と、超がつくほど暗愚な太子・司馬衷(しばちゅう)のどちらに継がせるかが問題になり、太子をひいきした司馬炎は司馬攸(しばゆう)を地方に飛ばし、司馬攸支持派を粛清しました。
そんな無能な政治を続けた結果、後年には義父の楊駿(ようしゅん)に政治の実権を奪われてしまい、290年に56歳で死去しました。
絶頂の天下統一から転げ落ちるような天下統一後の落差には驚かされます。
家臣の提案を無視したり、せっかく建国当初に作った優秀な官吏集団を売官官吏だらけにしてしまったり、仕事をほったらかして女性と楽しんだりといった様子を見ますと、燃え尽き症候群の症状である「情緒的消耗感」「脱人格化」「個人的達成感の低下」が垣間見える気がします。
彼はやはり、天下を統一して燃え尽き症候群になったのでしょうか。
燃え尽き症候群
天下統一ほどの大事業でなくても、スポーツ選手の中には大きな目標を達成したのに求めていた幸福が得られず、燃え尽き症候群になってしまう人があります。
実業家として成功した人の中にも燃え尽き症候群になり、
「一体、巨万の富が何になるのか」
と人生に意味が感じられなくなる人も多いそうです。
アメリカ合衆国第45代大統領のドナルド・トランプ氏は以前にこう言っています。
「人生最大の目標をなしとげた人で、その目標達成とほぼ同時に、寂しく虚しく、放心に近い感情を抱き始めることのない人はめったにいない。(中略)他人の人生を見るまでもなくそれが本当だということは私(トランプ氏)にはわかる。私も他の誰にも劣らず、その落とし穴に陥りやすいのだ…。(ピーター・シンガー著『私たちはどう生きるべきか』)」
司馬炎も天下統一という人生最大の目標を成し遂げたのですが、そこで気力が切れてしまったのでしょう。
天下を統一したからといっても問題がなくなるわけではありません。
戦いがなくなっても、日本の25倍の面積を持つ中国を維持するのは大変です。
この前まで戦っていた地方の人たちが言うことを素直に聞くとも限りません。
「天下統一さえすれば後は上手くいく」
もしも司馬炎がこう思っていたのならば、噴出する問題の多さに
「え、まだ頑張らなきゃいけないの!?…なんか、疲れたな」
と燃え尽きてしまったのも無理ないでしょう。
達成する前は輝いている夢や目標も、達成するとさほどの幸福が得られず、「あんなにがんばったのは何だったのか。もうがんばるのはいいや」と燃え尽き症候群になってしまう人たちに
「世人薄俗にして、共に不急の事を諍(あらそ)う」
(世の中の人は、目先のことばかりに心をうばわれて、人生の大事を知らない)
とお釈迦様は言われます。
達成すれば色あせる目標ではなく、人生で本当に為すべきこと、『人生の目的』を教えられたのが仏教です。
晋のその後
その後、晋(しん)はどうなったのかと言いますと、二代目の司馬衷(しばちゅう)があまりにも愚かすぎたため、奥さんの賈南風(かなんぷう)とその一族が朝廷を牛耳り、それに応じた内乱が起こって中央がボロボロになり、その隙に北方民族が侵入したため、中国全土が内乱だらけになり、司馬炎没後から16年後の306年に晋は滅亡します。
それから中国は五胡十六国時代、南北朝時代を経て、隋が再統一を果たす589年まで、300年の間また戦乱の世が続くのでした。
この頃、戦乱が続く暗い世相の中で、それまで信じられてきた儒教を疑う人が多く現れ、外来の宗教である仏教を信じる人が増え、中国全土に広まりました。
そのため経典の翻訳事業が国家をあげて行われ、現代にも影響を与えている有名な僧侶が多数輩出されました。
浄土真宗で特に重要視される浄土三部経もこの頃に翻訳されています。
大無量寿経-252年頃(三国時代)
阿弥陀経-402年頃(五胡十六国時代)
観無量寿経-424年頃(南北朝時代)
他にも多くの人に知られる法華経や般若心経も402年頃に翻訳されています。(阿弥陀経、法華経、般若心経の翻訳年代が同じなのは訳者が同じ「鳩摩羅什(くまらじゅう)」という人だからです)
達成すれば色あせる目標ではなく、本当の人生の目的を教えられた仏教が人々の心の拠り所となったのでしょう。
日本に仏教が入ってきた飛鳥時代は、中国では南北朝時代ですから、もしも司馬炎(しばえん)が燃え尽き症候群にならなければ、日本に仏教はなかったかもしれません。
まとめ
理想に燃えて使命感にあふれ、大きな目標を達成しても思ったほどの価値が得られなかったときに、急にやる気がなくなって何もかもイヤになってしまう状態を「燃え尽き症候群」と言います。
燃え尽き症候群になりやすいのは、注意や指摘を自分の人格を否定されたかのように捉えてしまう人が、多くの人と交わる仕事に就いた場合です。
三国時代に終止符を打った司馬炎(しばえん)も、天下を統一しても思ったほどの幸福が得られなかったのか、燃え尽き症候群になってしまい、政治を放り出してしまいました。
やがて親戚に権力を奪われ、回復することなく56歳で死去します。
せっかく建てた晋もすぐに滅んで長い戦乱の世はまだ続くのですが、その中で儒教に代わり仏教が広まりました。
それは中国のみならず、日本にも影響を与えたのでした。
こんぎつね
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