仕事で取り返しのつかない失敗をしたあなたが生き残る唯一の方法
こんにちは、暮らしを良くする研究家のこんぎつねです。
あなたは仕事で取り返しのつかない失敗をしたことがあるでしょうか。
「大事な会議の日に寝坊した」
「再発行不可の重要書類をシュレッダーにかけた」
「4000万円の機械を壊した」
「お得意先の偉い人をフォークリフトで轢(ひ)いた」
「『61万円1株売り』と『1円61万株売り』を間違えて表記して売った」
など色々な失敗談がネットに上がっています。
人間は失敗をする生き物ですが、これは脳がわざと失敗させているだからだそうです。
ためしにひらがなの「あ」を1分間ひたすら書いてみてください。
間違えて「お」とか「キ」などを書いてしまうはずです。
いつも同じことの繰り返しでは進歩がないので、わざと少し違ったことをさせることで脳が進歩を促しているのです。
だからといって取り返しのつかない大失敗をしたのに「人間は失敗をする生き物なんです。進歩には失敗が必要なんです」と言っても納得してもらえません。
取り返しのつかない失敗をして「もう死んで詫びるしかない」となったとき、それでも死なずに生き残るためには複雑なことは必要ありません。
まず謝罪をしてください。
なぜ謝罪をすることが生き残る最後の手段なのか、中国の古い歴史書『史記』と謝罪に関する論文から説明します。
謝罪で命ギリギリつながった繆賢(ぼくけん)
以前「刎頸の交(ふんけいのまじわり)」の記事で紹介した中国の春秋戦国時代の趙の宰相・藺相如(りんそうじょ)が、まだ繆賢(ぼくけん)という人の家で居候をしていたときに繆賢(ぼくけん)とこのようなやり取りがあったと『史記』に書かれています。
繆賢「どうしよう、取り返しのつかない失敗をしてしまった。これが罪に問われれば間違いなく死刑だ。こうなったら燕(えん:当時の国の1つ)に逃げよう」
藺相如「あれ、繆賢(ぼくけん)さん。どこか行くんですか?」
繆賢「ああ、大変な罪を犯してしまったから燕王の元に亡命するんだ」
藺相如「え、なんで燕王と知り合いなんですか?」
繆賢「かつて趙王様のお供で燕王と会ったことがあるんだが、そのとき燕王は僕の手を取って『友達になろう』と言ってくれたんだ。そのとき僕は燕王と友達になったんだ」
藺相如「いやそれは違いますよ。考えてみてください。
趙と燕とでは趙のほうが燕より強国ですよね。
あなたが趙王様に厚遇されているようだから燕王はあなたと仲良くしておこうと思っただけです。
あなたが燕に逃げたら、燕王は趙王様を怖れてあなたを捕まえて送り返しますよ」
繆賢「そ、そんな…、じゃあどうすればいいんだ?」
藺相如「ここはいさぎよく、上半身裸になって処刑台に伏して『大変申し訳ありませんでした!どうぞ処刑してください!』と言うしかないでしょう。そうすればもしかしたら刑罰を免れるかもしれません」
こう言われた繆賢(ぼくけん)がその通りにしたところ、趙王は繆賢を赦(ゆる)し、繆賢は何とか命永らえることができました。
取り返しのつかない失敗をした繆賢は誠心誠意謝罪することで命拾いしたのです。
ではこの藺相如(りんそうじょ)のアドバイスはすべての人に通用するのでしょうか。
謝罪するときに大事な2つのこと
神戸大学大学院人文学研究科の大坪庸介准教授は論文「仲直りの進化社会心理学: 価値ある関係仮説とコストのかかる謝罪」の中で、謝ったときに相手がその人を許すかどうか決めるのは、相手の関係価値と不確実性の低減によると言っています。
かんたんに言いますと、被害者にとって加害者が大事な人であるかどうかと、今後同じような被害を受けないかどうか、ということです。
この場合の被害者を上司とすると、あなたが上司にとって大事な人ならばクビになることはありません。
また今後対策を立てて、同じ失敗をしないことが保証できればクビになりません。
怒られるでしょうし、始末書を書くことになるでしょうが、やがて「昔こんなことがあってさ」と後輩に語る出来事の1つになります。
ですがもしも上司にとってあなたが大事でなかったり、何度でも同じ失敗を繰り返すだろうなと思われたらクビを免れないかもしれません。
「上司にとって大事な人かどうか」は、失敗をした後では今さらどうにもなりませんので、取り返しのつかない失敗をしたときにすべきことは、同じ失敗をしないことを保証することです。
そのときにはまず繆賢(ぼくけん)のように誠心誠意謝罪してください。
謝罪する姿が真剣であればあるほどそれに比例して、反省する心が強く、同じ失敗をしないよう努力をするように相手は感じます。
謝罪の態度がそのまま、相手にとっての同じ失敗をしない保証になるのです。
どこかの企業が不祥事を起こして謝罪会見をするときに
「このたびは多くの方にご迷惑をおかけし、誠に申し訳ありませんでした」と言って涙を流しながら30秒深く頭を下げた場合と
「どうもすみませんでした」と言って不満そうな顔で軽く頭を下げただけの場合とでは、前者のほうが今後同じ失敗をしないよう心がけるように感じるのは想像がつくと思います。
取り返しのつかない失敗をして逃げ出したくなっても、生き残りたければ謝罪をする以外に道はないのです。
失敗と因果の道理
こうしてあなたは大失敗を何とか許されたとしましょう。
しかしあなたが許されたのは、上司がこれだけ真剣に謝罪するのだからもう同じ失敗をしないだろうと思うからこそです。
それなのに対策もせずに同じ失敗をしてしまってはもう許されません。
仏教では「すべての結果には原因がある。原因なしに起こる結果は万に1つも、億に1つもない」と教えられます。
これを因果の道理と言います。
失敗にも原因があります。
大失敗になればなるほど原因と結果が複雑に絡み合っているものですが、もしその中の1つでも防げていれば失敗しなくて済んだのです。
なぜ失敗するという結果が生じたのか、その原因は何なのか。
因果の道理に当てはめて、同じ失敗をしないように心がけましょう。
1の失敗をせずに10の失敗をするよりも、1の失敗をして10の失敗をしないようにすることが大事なのです。
まとめ
失敗を許すか許さないかは、相手が自分にとって大事な人か、もう同じ失敗をしないかどうかで決まります。
取り返しのつかない失敗をしたときは誠心誠意謝罪してください。
中国戦国時代の繆賢(ぼくけん)は他国に逃げずに、処刑台に寝そべって命がけで謝罪したから許されたのです。
そして謝罪して許されたならば、因果の道理に沿って失敗の原因を潰していきましょう。
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こんぎつね
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