「生きづらさの正体」を知る、たった1つの知恵(2)
こんにちは。“伝わる”技術研究家のみさきです。
漠然とした不安に戸惑うことがありませんか?
「何だろう、この得体の知れない不安と寂しさは」と思うときはないでしょうか。
お金がないとか、病気だとか、具体的な原因の見つからない、漠然とした不安です。
目標を達成し、自分の夢を叶えても、なぜか無くならない不安です。
確かに高い目標を達成すると、一時は舞い上がるような喜びがあります。
しかしそれも続かないのです。
しばらくすると、また不安や不満を抱えている元の自分に逆戻りになってしまいます。
念願の旅行会社に就職した時もそうでした。
仕事とプライベートで年に何回も海外旅行に行ける環境は、私にとってまさに学生時代、思い描いていた理想でした。
それなのに、海外のホテルで窓の外を見ていると、ふと「何だろう、この気持ちは」と戸惑うのです。
それからもいろいろと目標を決め、達成していくのですが、喜びは次第に色褪(あ)せ、しばらくすると逃げようもない不安に襲われました。
何を目標とすれば幸せであり続けられるのか、考えれば考えるほど、「幸せとは何か」という疑問が大きくなっていきました。
この「不安の正体」をはっきり知らされたのは、仏教を学んだことからでした。
仏教が明かす「不安の正体」とは
仏教の答えは「諸行無常(しょぎょうむじょう)だから」でした。
「諸行無常(しょぎょうむじょう)」は『平家物語』の冒頭「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり」で、聞いたことがある言葉ではないでしょうか。
「諸行無常(しょぎょうむじょう)」
「諸行」はすべてのもの。
「無常」は常が無く、続かないこと。
すべてのものは常が無く、続かない。
これだけはずっと続く、というものは世の中に一つとしてない。
健康、仕事、愛情、名声、家など人それぞれ目標や大事にしているものは、絶えず変転する。
大きく変化するか、少しずつ変わるかだけの違いでずっとは続かない、やがては自分から離れていく。
おそらく20代の私だったら、なんて悲観的な考えなんだと撥(は)ね付けていたと思います。
しかし、様々な人と出会い、人生経験を重ねてきて、「諸行無常は事実だなぁ」と、心にコトンと落ちました。
健康を自負していた上司が突然職場で心筋梗塞で倒れたことや、結婚して祝福した友人の離婚などが思い出されてきました。
自分の周りでも、「諸行無常」は明らかでした。
お釈迦様はこう断言されています。
「手に入れたものもいつかは無くなり、支えにしているものもいつか失うから、それを心が予感して、いつも不安で寂しいのだ」
『歎異抄』にはそのことを
火宅無常の世界は、万のこと皆もってそらごと・たわごと・真実あることなし
と書かれています。
“火のついた家のような諸行無常の世にあっては、すべてのものは例外なく、たよりにならないし、明かりにもならない。不安はなくならないですよ”という意味です。
これは否定できないなと思いました。
どこかでわかっていたことを言葉にされた思いでした。
何よりもぼんやり感じてきた不安の元をずばり指摘された気がしました。
ところがその「諸行無常」を徹底的に明らかにしたお釈迦様が、なぜか「心の平安」をはっきりと教えられているのです。
「それはいったい何だろう」と、仏教を続けて聞きたいと思って、今に至っています。
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みさき
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