「また今度」「また明日」と後回しにして後悔してしまう人の改善方法
こんにちは。
こころの悩みサポーターのこうへいです。
いろいろな人と話をしていて、よく聞くのが、
「あることをやろうと思っていたけれど、いろいろな事情があって、また今度でもと思っていたら、結局できなくて後悔した」
という話です。
後回しにして後悔したこと
後回しにしてしまったことで後悔した経験はありませんか?
例えばこんな事例です。
また今度でいいだろうと思い後回しにして直前でバタバタして後悔
翌月に必要になる物があって買い物に行こうと思ったけれど、時間が遅くなりそうだったので、また今度でいいだろうと、その日は行くのをやめた。
結局、必要になる前の日に慌てて買いに出かけることになってしまい後悔した。
忙しそうだからと声をかけずにその後疎遠になって後悔
ある人を食事に誘おうと思っていたけれど、今は忙しそうだし、また今度、声をかけたらいいだろうと、その時は声をかけなかった。
結局、誘うことができないまま、その人と疎遠になってしまい、後悔した。
後で聞けばいいと思ったが聞けずに失敗して後悔
説明を聞いていた時に、はっきり分からない所があった。
質問しようかと思ったが、また後で聞けばいいやと思い聞かなかった。
結局、聞かないままで過ぎてしまい、大きな失敗につながってしまい、後悔した。
私もそんなことが何度もありましたので、それらの人たちの後悔した気持ちがよく分かります。
買いに行こう、声をかけよう、聞こうという気持ちが全くなかった時よりも、やろうと思ったのに、躊躇(ちゅうちょ)して、やめてしまった場合の後悔はより大きいものになります。
後悔を糧(かて)に成長できればいいのですが、しばらく時間が経つと、忘れてしまいがちです。
そこで、私自身に対しての戒(いまし)めを込めて、また後でという心が後悔する原因だという話を紹介したいと思います。
『徒然草』が示す 後悔しない心がけ
『徒然草』という本の名前は多くの人が一度は聞かれたことがあると思います。
その『徒然草』の中に次のような話が紹介されています。
弓を習い始めた人が、ある日、2本の矢を持って的に向かいました。
すると、師匠が
「矢は1本にしなさい。2本持つと、後の矢を当てにして、初めの矢を、いいかげんにする心が起きる。この1本しかないと思いなさい」
と戒めました。
徒然草ではこの話を通して、「後で」「また今度」という心は今やるべきことを後回しにして怠けようとする心だと警告しています。
また今度でもいいと思うと、今に集中できません。
何かをやろうと思っても、ちょっと面倒だったり気が進まなければ、また今度やればいいとなってしまうものです。
しかし私たちはどうしても「後でいい」「また今度でも」という思いが出てきます。
だからこそ、「矢は1本しかない」という心が大事なのですね。
後悔しない大切な心がけ「『また今度』はない」
どうしても「後で」とか「また今度」という心が出てくるものですが、本当に“後”や“今度”はあるのでしょうか。
“後”や“今度”がなかったから後悔したのです。
「また今度やればいいや」
とあるかどうかわからない次を当てにするのではなく、
「これが最後のチャンスかもしれない」
と思って取り組んでいきたいものです。
仏教では「明日はない」と教えられています。
「いや、明日はあるでしょう。明日は映画を見に行く予定で、もう予約もしてある」と思いますが、明日を迎えることができると本当に言い切れるでしょうか。
明日という日が来る前に、何かのことで人生が終わるかもしれません。
私の知り合いにも、昼間は隣に座って話をしていたのに、その日の晩にお風呂で亡くなった人があります。
「また明日」と言って別れたその人には、明日はなかったのです。
浄土真宗を明らかにされた方として有名な親鸞聖人という方は、4歳でお父さん、8歳でお母さんを亡くされて、9歳で仏教の僧侶になられました。
9歳の親鸞聖人が僧侶になるために、あるお寺に行ったとき、そのお寺の責任者から
「わずか9歳で僧侶になろうというのは尊いことだ。明日、僧侶になるための儀式をするから、また明日来なさい」
と言われました。
その時に、次の歌を詠(よ)んだと伝えられています。
明日ありと 思う心の 仇桜(あだざくら)
夜半(よわ)に嵐の 吹かぬものかは今を盛りと咲く花も一陣(いちじん)の嵐で散ってしまいます。
どうか明日と言わず、今日僧侶にしていただけないでしょうか。
私たちは明日も明後日もあると思いがちですが、今晩終わるかもしれないのが人間の命なのです。
これが誰も否定できない本当のことだから、その寺の責任者もすぐに式を執り行ったと言われています。
まとめ
「また後で」「また今度」という後回しにする心が、結局やらずに後悔する元になっているようです。
「また後で」という後回しにする心が後悔する元になるのだと自覚して、「今しかない」「ここしかない」と取り組んでいきたいですね。
こうへい
最新記事 by こうへい (全て見る)
- 醜いねたみの心に悩む青年が心惹かれたのは仏教だった - 2018年12月30日
- 高齢者の孤独が犯罪を生む|お釈迦さまの示す孤独を生きる力 - 2018年11月17日
- いつの時代も変わらぬ願い「自由に生きられたら幸せ」は本当か - 2018年11月10日