「人付き合いは疲れる」と悩んでいた私の心が楽になったのは
こんにちは。チューリップ企画のこうへいです。
先日、車で移動しているときに1人の友達が、「私は何をしても嫌われるのではないか、すでに嫌われてしまっているのではないかと他人の目が気になって仕方がないんです」と悩みを言っていました。
私も他人の目が気になって落ち込むことがよくあるので、その人の気持ちがよく分かります。
その時に先輩がしてくれた話で心が軽くなったので、紹介したいと思います。
目次
私が思っているほど他人は私のことを気にしていないもの
私たちは、自分がこんなことをしたらどう思われるか、気になりますが、周りの人はそれぞれやることがあって忙しいので、そこまで気にならなかったり、そのときは少し気になってもしばらくしたら忘れてしまうものです。
私たちでもよほどのことでない限り、他人のしたことをずっと覚えていることはないと思います。
大事なことさえ忘れてしまうのですから。
嫌われているかもと相手の言動が気になるのは、自分が気にしているから
相手のちょっとした言葉や態度に、「私は嫌われているかも」と感じ、悩むこともあると思います。私はよくあります。
そう思ってその人のことを見ると、1つ1つの態度や言葉がすべて私を嫌ってしていることに見えてしまい、余計に悩んでしまいます。
たとえば、声をかけたのにそっけない態度をとられた、私が近づいたら席を立ったなど気になって仕方がなくなくなります。
しかしほとんどの場合は相手はそんなつもりではないのに、私が気にするがあまりそう感じてしまっていることがよくあります。
そっけない態度だったのは差し迫った仕事があって考え事をしていたのかもしれませんし、席をたったのは用事があっただけだったかもしれません。
結局、合わない人は合わないし、嫌う人は嫌うもの
好き嫌いは理屈ではないと言われます。
だから私が何をしても、好意的に感じる人は好いてくれますし、嫌いだと思う人は嫌いだと思うものです。
とにかく好きとか嫌いというのは、理屈では考えられないもののようです。
同じ家庭で育った兄弟でも味の好みが違っていたりします。
人ではないですが、私がこの世でもっとも嫌いなものはカエルです。
田んぼに囲まれた富山の田園地帯で生まれ育ったのに、カエルを見ただけで叫んで逃げたくなるほど嫌いなのです。
何かカエルにされたのかと言えば、そんな記憶はありません。
なにそんなに嫌いなのかと聞かれても、よく分かりません。
嫌いなものは嫌いとしかいえません。
私のことが嫌いという人は嫌いなのですし、逆に私に対して好意を持ってくれる人は必ずあるのです。
他人の好き嫌いに一喜一憂していても疲れるだけかもしれません。
しばらくのことと思えば人付き合いも気が楽になる
相手の人とずっと一緒にいなければならないのなら、その人に嫌われるということは大きな問題になるかもしれません。
仏教に会者定離(えしゃじょうり)という言葉があります。
会った者は必ず離れ離れになっていくのが世の定めだということです。
どんなに好きな人でも、どんなに嫌いな人でもやがて必ず別れる時がくるのです。
そう思えば、私は嫌われたのかな、嫌われるのではということに気を揉むよりも、未来に向かってもっと大切なことに心をむけていこうという気持ちになるのではないでしょうか。
まとめ
人との上手な付き合い方を教えてもらって私も努力していますが、人付き合いに疲れたときは、心を楽にするようにしています。
人付き合いのテクニックを学ぶのも大事ですが、嫌われるのではと他人の目が気になって疲れている人は、まずは少し心を軽くしてみてはいかがでしょうか。
こうへい
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