60代で起業しても遅くない|シニア起業で偉業を残した2人
こんにちは、暮らしを良くする研究家のこんぎつねです。
先日ニュースを見ていたら高齢化問題を解決する方法の一つとして高齢者の新事業の立ち上げ、いわゆる「起業」を勧める内容が紹介されていました。
中小企業庁が発行している『中小企業白書(2014年版)』のデータによると、2012年時点で60歳以上の起業家の割合は32.4%に昇るそうです。
30歳未満の割合は11.9%ですから起業は若者がするもの、という考えは間違ったもので実際には60歳以上になってから
「若いころにやりたかったことをやるチャンスがついにやってきた」
と起業する人が多いのです。
起業というと会社を設立したり、行政法人を立ち上げたりという大変なイメージがありますが、畑で作ったものをネットで売っても、パンを作ってワゴン車で売っても、バンドを始めて興行しても起業です。
「いや~、そうは言っても成功する人なんてわずかでしょ」
確かに楽ではありませんが、高齢になってから新事業を立ち上げて、並々ならぬ努力によって世界に影響を与えるまでになった人もいます。
今回はその中の2人を紹介します。
カーネル・サンダースのケンタッキー・フライド・チキン
ケンタッキー・フライド・チキンの創業者で、店頭に人形が立っている白髭のおじいさんと言えばカーネル・サンダースです。
サンダースは40歳で幹線道路沿いにガソリンスタンドをオープンし、その一角にレストランを設けました。
レストランは人気になりましたが1955年、サンダース65歳のときに近くに高速道路が建設されると幹線道路の車が減り、閉店に追い込まれました。
もう65歳だからと隠居してもいい歳ですが、彼は店で一番人気だったフライドチキンの味に自信があったので、ワゴン車に11スパイスと圧力釜を積んで、各地のレストランにフライドチキンの調理法を教える代わりに儲けのいくらかをもらうフランチャイズ契約を取って回りました。
1009回の断りを受けましたが、1960年には契約店は400店舗にまで増え、2016年7月21日の時点では全世界で19420店舗となっています。
カーネル・サンダースはこのように言っています。
「私の大切にしていたルールは2つだけです。できることはすべてやる。そして、できる限り最善を尽くす。これこそが、何かを達成するための唯一の方法なのです」公式サイト「カーネル・サンダースを探して」より
伊能忠敬の大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)
あなたは伊能忠敬という人物を知っているでしょうか。
伊能忠敬は江戸時代に日本中を測量して回り、精巧な地図を作製した人です。
当時は電車も車も自転車すらない時代ですから歩いて測量しなければなりません。移動は馬でしていたかもしれませんが、測量自体は歩測をする都合で歩いて行っていました。
伊能忠敬はいつ頃から測量を始めたかと言いますと、なんと56歳です。
当時は医療も発達していませんし、栄養状態も今より悪かった時代で、60歳まで生きられればいいほうだったそうですから、56歳は人生の晩年と言えます。
そんな歳になってから地図作りを始めた伊能忠敬とは一体どのような人物だったのでしょうか。
伊能家はそもそも商人として酒造、しょうゆの醸造、賃貸業、水運業などを営む家計で忠敬も代々続いた家を継いで、それらの商売をしていました。
46歳頃から暦学に興味を持った忠敬は商売を息子・景敬に託し、51歳から幕府天文方の高橋至時の弟子になり、暦学、天文学、観測技術を学び、56歳から測量を始めています。
まずは北海道、続いて伊豆、房総半島から青森県、青森県から新潟県、神奈川県から愛知県、福井県から新潟県、紀伊半島から中国地方、山陰地方から福井県、四国、九州と、江戸と各地を行ったり来たりしながら測量をし、同時に地図を完成させていきました。
幕府からの命があったとはいえ、初めのうちは十分な手当ても出ず、今の貨幣価値に換算して1000万円以上の赤字を出しながら自費で賄い、測量を続けました。
忠敬は74歳で亡くなりましたが地図の制作は続けられ、没後3ヶ月経ってから全214枚の『大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)』が完成しました。その後多くの地図が、これを元に作られることになります。
地図の原本は江戸城の図書館に納められ、機密であるから大名と他少数の人のみが閲覧を許されました。
しかし明治時代になり、地図は皇居に移されましたが明治6年の皇居炎上で焼失し、伊能家で保管していた副本も関東大震災で焼失してしまったそうです。
その後しばらくは原本はもちろん、写本も現存していないことになっていたのですが、2001年にアメリカ議会図書館で写本207枚が発見され、足りない7枚分も日本の各地で発見されたため2006年に全地図を収録した「伊能大図総覧」が刊行されました。
ですから、原本を再現した写本が一般人でも見られるようになったのはごく最近のことなのです。
「人間は夢を持ち前へ歩き続ける限り、余生はいらない。願望は寝ても覚めても忘れるな。泥棒でも、敵をやっつけるのも、美女を手に入れるのも、そう願う心をどんなに状況が変化しようが、一時も忘れずに心がけていれば、かならず成し遂げられる。」
伊能忠敬が言うとより重みがあります。
お釈迦様の教えられた精進-努力
お釈迦様の説かれた仏教は、「廃悪修善(はいあくしゅぜん:悪をやめ、善をせよ)」を教えられ、様々な善が教えらえています。
「精進(しょうじん)」はその中の一つで、“精を出して進む”と書くとおり、目的に向かってまっしぐらに進むこと、怠けず努力することをいいます。
寺で出される料理である「精進料理(しょうじんりょうり)」と言ったら肉の入っていない料理なので、肉を食べないことだと思う人もありますがそうではなく、精進とは努力することです。
また精進の反対を懈怠(けたい)と言い、怠けることを指します。
お釈迦様は
「良い結果が欲しければ努力をしなさい。怠けていては悪い結果しかきませんよ」
と教えられています。
まとめ
カーネル・サンダースも、伊能忠敬も簡単に成果が出たのではありません。
サンダースは1000回以上も断られながら契約を結び、忠敬は自分の私財をなげうって測量を続けました。
2人とも大変な努力を続けて大きな結果を得たのです。
そこまで大きなことはしなくても、努力をすれば今からでも遅くないことはたくさんあります。
「以前は時間がなくてできなかったけど、実はあれをやってみたかった」
ということを始めるのは今ではないでしょうか。
高齢者起業家を支援する助成金制度も平成28年から始まっています。
あなたの起こした事業が世界を変えるかもしれません。
こんぎつね
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