左遷されても諦めないで|左遷先で歴史に名を残した司馬光に学ぶ(後)
こんにちは、暮らしを良くする研究家のこんぎつねです。
前回の記事では司馬光が左遷させられたエピソードを紹介しました。
首都の開封(かいほう)から副都の洛陽(らくよう)に左遷された司馬光の元に『資治通鑑』(しじつがん)の編纂書局が閉鎖の危機にあるとの報が届きます。
これが司馬光の人生の転換点でした。
53歳にして地方に左遷された司馬光はどのようにして中央に復帰したのでしょうか。
資治通鑑の編纂
『資治通鑑』(しじつがん)とは当時の皇帝・神宗の一代前の英宗の時代から司馬光が中心となって編纂を進めていた、過去の中国の歴史を総まとめにした書物の名前です。
「政治上の参考にするもの」という意味の「治に資し通じて鑑みる」から名前を取られており、昔から帝王学の教科書として読まれてきた大部な書物です。
司馬光が開封から去った後は残された人たちで編纂をしていましたが、新法派と旧法派の対立の影響で閉鎖となりかけたのです。
これに対して司馬光は「『資治通鑑』は何としてでも完成させねばならん」と書局を洛陽に移すことを提案し、許可が下りました。
司馬光の隠居生活が政敵に「司馬光には政界に戻ろうとする意志は無し」と判断させたのです。
『資治通鑑』の編纂が洛陽に移ると司馬光の多忙な日々が始まりました。
編纂作業は歴代王朝で代々公的に記録されていた『正史』だけでなく、可能な限りの歴史資料を集め、そこに書かれていることを別に書き写して、年月順に並び替えて、治世に役に立つか不必要かを選択して、選び取られたものをまとめるという大変な作業です。
その忙しい日々の中で時に獨樂園で心を癒やし、詩を詠んで友人と語りあって楽しみ、編纂作業を続けました。
そして英宗の時代から数えて19年、洛陽に書局が移って11年後に『資治通鑑』は完成し、結果、322種の膨大な資料がまとめられた史上かつてない歴史書となりました。
春秋時代と戦国時代の変わり目である紀元前403年の周の威烈王の時代から959年の後周の滅亡までの1362年間の出来事が294巻に渡って書かれています。
『資治通鑑』に収録された資料は現代では散逸したものも多数あるため、中国の歴史を知るにあたって史料価値の非常に高い書物となっています。
『正史』では「何年に誰々がこういうことをした」と簡潔に書かれているだけのものでも、『資治通鑑』には「何年に誰々がこういうことを言って、別の誰々がこういうことを言ったのでこういうことになった」のように細かく書かれています。
また『正史』に記述のないことが多く書かれているため当時の様子をより詳しく知ることができる書物です。
中央に返り咲く司馬光
資治通鑑が完成して1年後に神宗が崩御して哲宗が即位しましたが、わずか10歳だったため、祖母の宣仁太后(せんじんたいごう)が政治を取り仕切ることになりました。
宣仁太后は旧法派だったので、政情不安を安定させるために洛陽にいた司馬光を呼び戻します。
司馬光の威光はとどろいており、開封の数千人の人々から熱烈な歓迎を受け、宰相の地位に就き、16年ぶりに中央政界に返り咲きました。
一度は左遷されてやる気を失って庭園で悠々自適な生活を送っていた司馬光ですが、左遷先で大きな功績を残したことにより復帰することができたのです。
因果の道理と精進
司馬光の話からわかるように、左遷されても左遷先で努力して結果を残せば中央に戻れる可能性があります。
逆にふてくされて努力を止めてはずっとそこにいなければいけません。
仏教に『因果の道理』という教えがあります。
原因と結果の道理ということで、簡潔に言えば
「よいことをすればよい結果がやってくる。悪いことをすれば悪いことがやってくる。自分のやった行いが自分にやってくる」
という教えです。
そして「よいこと」の1つとして「精進」が上げられます。
「精進」とは努力することです。
左遷先で「もうだめだ。このままここで朽ちていくんだ」と落ちこむ人と、「ここで努力して結果を出して、本社に戻ってやる」と意気込む人の違いは、努力がよい結果を生むことを信じているか否かでしょう。
今までがんばってきたのに、理不尽な理由で左遷させられてしまうとやる気を失ってしまう気持ちもわかります。
ですがそれではあなたを左遷させた人物が喜ぶだけではないでしょうか。
それよりも司馬光のように努力が裏切らないことを信じて結果を出して、あなたを左遷させた人物を驚かせたほうが楽しいのではないでしょうか。
また仕事だけをがんばるのではなく、今までにない人間関係を作ったり、新しい趣味を作ったり、今まで勉強したことのないことを勉強したりして人生をよい方向に変えていければ、左遷ではなく栄転と言えるでしょう。
↓の記事でも努力の大切さについて書いています。
努力と忍耐は成功者への夢を見るか|才能より大事な「やり抜く力」
まとめ
たいした過失もないのに理不尽な理由で左遷させられてしまうと、人生が終わった気になり、生きる気力がなくなってしまいます。
しかしそこで奮起して努力し、結果を出して左遷させた人物を見返す人もいます。
宋の時代の司馬光は、53歳にして左遷させられましたが、左遷先で畢生の大著『資治通鑑』を完成させ、天下に名を轟かさせました。
あなたも司馬光のように努力は裏切らないことを信じて、もう一度立ち上がってみませんか。
こんぎつね
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