わかってほしい認めてほしい|承認欲求が満たされないあなたへ
こんにちは、龍慈です。
わかってほしい、認めてほしい、そんなことを思ったことはないでしょうか。
何で自分はこんなにがんばっているのに何でわかってくれないの、と認めて貰いたい承認欲求が満たされずに不平不満を漏らす人が少なからずあると感じます。
そんなときにどう考えてどう行動するべきなのでしょうか。
人間全ての人にはわかってもらえない
近年注目を浴びているアドラー心理学の書『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社・岸見一郎(著),古賀史健(著))にこのような話が書かれています。
自分の周りに10人いるとすると、その中にはいろいろな人があり、10人の中の2人は何をしなくても自分に好意を持ってくれる人、10人の中の7人は自分の言動によって好きにも嫌いにもなる人、残りの1人は自分が何をしても嫌って全くわかってくれない人、であると言われています。
人間の価値観は様々で、似たような価値観の人もあれば、異なった価値観の人もあります。
同じような価値観の人であればわかってもらいやすいですが、異なる価値観の人ならばなかなかわかってもらえません。
自分のがんばりを認めてもらいたい、わかってほしい、そう思っている人によくあるのが、どんなにがんばっても自分を好きになってくれない1人に対して、なんとかわかってほしいと懸命に努力することです。
そうすると、がんばっても努力してもわかってもらえないため、「わかってほしいのになぜわかってくれないの」とますます苦しくなっていってしまいます。
ありのままの現実を観る
ではどうがんばってもわかってくれない人に対してはどうすればよいのでしょうか。
それはありのままを受け止めることが大切です。
絶対乗り越えることが不可能な壁を何とか乗り越えようとがんばっても、そもそも乗り越えるのは不可能ですから、いくら努力しても乗り越えることはできません。
せっかくの努力も無駄になってしまいます。
そんなとき、賢い人はこの壁は自分には乗り越えることができないものなのだ、と見定めて別のことをがんばるようにするでしょう。
仏教には、諦観(たいかん)という言葉があります。
諦観(たいかん)とは、「明らかに観る」ということで、物事をまっすぐに、ありのままを観ていくという意味です。
自分にできる事とできない事をごまかさずに観て、本当にがんばるべきところを見定めることが大切なのです。
多くの人に受け入れられる人とは
わかってほしいとみんな思っていますが、多くの人に認められわかってもらえる人もあれば、そうでない人もあります。
どこが違うのでしょうか。
わかってもらえないと言っている人の多くは、先述の10人の中のどうがんばっても好きになってもらえない1人に注力するのに対して、多くの人に認められる人は、10人の中で好きになってくれる2人を特に大切にし、自分の言動によってどちらにも転ぶ7人に力を注いでいるのです。
どう努力しても好きになってくれない人にわかってもらうのは、相当の時間と労力がかかり普通では難しいと言われています。
ならば、その現実を受け止め、自分を好きになってくれる人を大切にしていくことで、いい関係を築くことができ、7人もいい印象で受け入れてもらえるようになっていくのです。
まとめ
「わかってほしい、なんでわかってくれないの」と思ったとき、ちょっと落ち着いてありのままの現実をみて、今自分ががんばっていることは本当によい方向なのかと振り返ってみることが大切だと思います。
自分のがんばる方向が見定めることができれば、多くの人に認められ、わかってもらえることでしょう。
龍慈
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