人生がつまらないと感じるのはなぜ?毎日を明るく生きるために必要なもの
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
お悩み解消研究家のわかです。
私たちの人生は、基本的には学校や職場と家の往復で過ぎていきます。
毎日同じ時間に起きて、同じ道を通り、代わり映えのしない作業をして、家路につく。
そして一晩寝れば、また次の日がやって来る。
そんな日常を繰り返していると、「なんだかぱっとしないなあ」とため息をつきたくなってきます。
「人生はつまらない」と漠然と感じている人が多いのではないでしょうか。
今回は、人生がつまらないと感じる原因について考えてみます。
予定がたくさんあれば楽しい?
毎日予定がたくさん入っていれば、つまらなく感じることもなくなるのでしょうか?
確かに、人と会ったり、ドライブしたり、買い物や趣味など。
忙しくしていればいるほど、充実した日々になりそうな気がします。
私の知り合いも、なるべく予定を詰め込むタイプでした。
はたから見ていて、毎日充実してそうだなと思ったのですが、「予定が終わってしまった後の寂しさがつらい」と言っていました。
遠足や旅行は行く前が一番楽しいとも言われます。
いざその日を迎えてしまうと、終わりばかりが見えて、むなしさが勝ってきます。
予定が終われば、また元の生活に逆戻り。
予定を詰め込んでも、根本的には解決できないのでしょう。
欲を満たすことにはキリがない
私たちが楽しいと感じるときは、どんなときでしょうか?
美味しいものを食べた、楽しい場所へ旅行、お金が手に入った、褒められた…などなど。
人それぞれ、楽しいと感じることには違いがありますが、根本的に言えば、欲を満たすことで喜びを得ているのではないでしょうか。
欲とは、「ほしいほしい、もっとほしい」と求める心です。
ほしいものが手に入り、満たされれば一時満足できるでしょう。
ところが、満足するのは一時的で、また不満な心が出てきます。
欲にはキリがないからです。
乾いては満たし、乾いては満たし…。
それではどこまで行っても「人生つまらない」のままでしょう。
人生をつまらなくさせる原因
仏教には流転輪廻という言葉があります。
輪がまわるように、同じことを延々と繰り返していることを言われます。
私たちの人生は同じことの繰り返しだと言われているのです。
何か手に入れれば人生が楽しくなるのではないかと思い、一生懸命求め、手に入れて喜び、やがてむなしくなる。
そして、また次のものを求める。
そんなことを繰り返しているのではないでしょうか。
すべての人に「何のために生きているかわからない」という暗い心が横たわっているのだとお釈迦さまは教えられています。
この暗い心こそ、「人生がつまらない」と感じる原因なのです。
生きることそのものへの喜び
仏教を説かれたお釈迦さまは、欲を満たすこととは別に、生きることそのものの喜びがあると教えられました。
それを次の言葉で教えられています。
「人身受け難し、今すでに受く」
(生まれ難い人間に生まれることができてよかった!)
満たしては渇く一時的な喜びではなく、一度その身になれば永遠に続く喜びです。
そういった喜びはどうしたら得られるのか、仏教にはそのこと一つが教えられています。
まとめ
人生がつまらないと漠然と感じるのは、私たちの知る喜びが一時的なものだからではないでしょうか。
美味しいものを食べたり、人から褒められるといった欲を満たす喜びはすぐに色あせてしまいます。
手に入れては渇き、また次のものを求める。その繰り返しです。
仏教では、欲を満たす喜びとは別に、「人間に生まれてよかった」という生きていることそのものの喜びが教えられます。
この喜びを知ることこそ、人生を明るく生きていくために大切なのではないでしょうか。
わか
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