隣の芝生は青い…|人の幸せを羨ましく思う「幸福の実態」とは
こんにちは。”伝わる”技術研究家のみさきです。
「あの人はあんなに幸せそうなのに、どうして私は……」と私たちは、自分の結婚生活や仕事と比べて他人の方が幸せそうに見え、自分の境遇をみじめに思ってしまうことがあります。
今回は、そんな時に知っておきたい「幸せの実態」をテーマに書いてみたいと思います。
「隣の芝生が青い」と感じるのは、遠くから見ているから
私は前の会社で営業職だったのですが、いつも店舗のカウンターで仕事をし、時にはお客さんの家に訪問したりしていました。
結構、営業というのは毎月のプレッシャーがあります。
ノルマといったら言い過ぎかもしれませんが、毎月の目標があり、上司や同僚とは常に「今月はやっと達成できました」「今月はあと一人で達成できる」などの会話が飛び交います。
成績が良ければ、賞をもらえ、ボーナスにも反映されますが、目標が達成できないと、上司から「どうして達成できなかったのか」「これからどうしていこうと思っているのか」と問われます。
また時にはお客さんとの人間関係のトラブルも起きます。
そんな時「この仕事疲れるな」と思ってしまうことがありました。
一方カウンターの奥では、事務職をしている社員がいるのですが、その人たちの穏やかで落ち着いた仕事ぶりを見ながら、「奥の人はいいな、毎日安定していて、毎月安定していて、目標もないし、上司からのプレッシャーもないし」と、羨ましくなることもよくありました。
ある日、ずっと事務職だった元同僚が、営業職の方に部署変更になったと連絡があり、食事に行きました。
その彼女が言うには、ずっと営業している人達はいいなと思っていたそうです。
事務職は毎日同じことの繰り返しで、変わり映えがしない仕事で、定時までずっと椅子に座っているので、万歩計をつけていても、2000歩も歩かないとのこと。
営業の人が営業先から「今日は直帰します」と連絡してくるのを、いつもいいなと思っていたそうです。
事務職は事務職の辛いところがあるんだな、とその時に思い知らされました。
人の幸せを羨ましく思う「幸福の実態」とは
「苦しみは、重荷を右肩から左肩へ移すようなもの」といわれます。
左肩に背負っている重いカバンのため、だんだん肩が痛くなり、辛くなってきたので、今度は右肩に移すと、ちょっと楽になった気がします。
ところがしばらくすると、今度は右肩が痛くなってくるようなものです。
「苦は色変わる」で、苦しみは環境が変わっても、色・形を変えるだけで、そこにまた違う苦しみがやってきます。
「隣の芝生は青く見える」とはよく言ったものです。
どうしても私たちは自分の境遇より、他人の境遇の方が良いように思えてしまうのですが、それは私たちが、自分の苦しみには敏感でも、他人の苦しみには鈍感で、その人の苦しみには気づかないだけです。
実際に隣の芝生に行ってみると、「ここにこんな苦しみがあったのか」と、まだ前の場所のほうが良かったとさえ思うものです。
独身時代は「結婚すればこんな苦しみはなくなるのにな」と思い、
結婚すると「独身時代はこんな苦しみはなかったのにな」と思う。
サラリーマンの時は「起業すればこんな思いをしなくていいのに」と思い、
起業すると「サラリーマンの時は安心だったな」と思う。
無いものねだりをどこまでもするのが、人間なのかもしれません。
このように右肩から左肩へ移動するだけで、苦しみのなくならない人間の実態を、仏教では「有無同然(うむどうぜん)」と教えられています。
まとめ
苦しみや悩みが大きい逆境のときに、他人の幸せを見ると嫉妬心が起きてきます。
しかし、華々しい成功をおさめて羨望の的となっているような人も、声を聞いてみると、苦しみの色が異なるだけで憂苦を抱えているようです。
どんな境遇にあっても、苦しみの無くなり切らない人間の実態を「有無同然(うむどうぜん)」といわれ、不安や不満が消えない原因は何なのかが問題になってきます。
みさき
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