「自分の死」を考えると、自分の生き方が見えてくる
こんにちは。“伝わる”技術研究家のみさきです。
「自分の死」を考えるときは?
先日、定年退職したばかりのある男性が、西城秀樹さん(享年63)の訃報を聞いて大変驚いた、と言われていました。
西城秀樹さんとその方とは年齢が2つ違いで、まさに同年代だったそうです。
芸能人・有名人の訃報というと、自分よりも一回り二回り年をとった人のことだったのが、最近は違ってきた。
自分と同年代の有名人の訃報が次々と耳に入ってくる。
自分もそういう歳になったのかと否が応にも自覚させられる。
いよいよ自分の番が来たんだなと、、どこか厳粛な気持ちでニュースを聞いた
と言われていました。
私は今30代で、「死ぬ」と聞いても「自分にはまだ先の話だ」と普段思って生きていますが、やはり自分と同年齢の有名人の訃報を聞いて、「えっ!あの人が」と驚いたことが何度かありましたので、その方の言われることが心に残りました。
同級生が死んだという知らせを聞いたときも衝撃を受けました。
「ねえ、聞いた?」という携帯電話からの友人の声。
同じ学校で机を並べ、成績やスポーツを競い合った仲間が、膵臓癌(すいぞうがん)で亡くなったという突然の知らせでした。
電話を切った後も、しばらく言葉を失ってしまったのを覚えています。
言葉を失うほど驚いたのは、「死ぬのは歳を取った人のことで、自分とはまだ関係ない」と思っていたのが、「そうではなかった。自分たちの年代でもこういうことがあるのか」ということが、知識ではなく、実感として迫ってきたからだと思います。
「自分の死」はなかなか真面目に考えることができない
ところが私たちはいったんは同年齢の訃報に驚くものの、それから色々な理由をつけて「自分はまだまだ大丈夫」と思ってしまいます。
「あの人はヘビースモーカーだったから…」「あの人は食べ物にあまり気を使っていなかったから…」と言い合い、「その点、私はたばこも吸わないし、食材には気をつけているから大丈夫かな」と安心し、「まだまだ死なない」と思い込んでしまいます。
「死と太陽は直視できない」とフランスのラ・ロシュフーコーは言いました。
なかなか死んでいく自分を真面目に見つめることができる人はないようです。
自分が死ぬことから、頑(かたく)なに目を背けようとしている私たちの姿を、仏教では「迷っている」と教えられています。
まとめ
同年代の有名人や友人の訃報を聞いて、非常に驚くことがあります。
これは「まだまだ自分は大丈夫」と思っていた死が、他人の死を通して、自分も近いうちに死ぬことがあるかもしれないと目を覚めさせられる驚きでしょう。
死と聞くと、耳を背けたくなる私たちですが、死を考えることは自分の人生が限られていることに気付きます。
そして限られた人生を大切にしようという心が起きます。
つづきはこちらの記事をご覧ください。
→平家物語 諸行無常から考える私にとって本当に大切なこととは
みさき
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