20代のオシャレ女子が東日本大震災に遭って気づいた幸せの盲点とは?
幼い頃から「幸せってなんだろう?」と折りに触れて考えていた九条えみです。
20代のオシャレ女子が気づいた幸せの盲点
東京に住む20代の女性が話していたことです。
彼女はオシャレをするのが好きでした。綺麗なお洋服を着て街を歩く。これが生きがいでした。時には大変なこともあるけれど、オシャレをすれば気持ちはときめき、笑顔になれる。「楽しく生きなきゃ損!」と毎日明るく楽しく生きていたことでしょう。
そんなある冬のこと、春になったら着ようと買った素敵なワンピース。クローゼットに大事にしまい、ワンピースを見るたびに春の訪れが待ち遠しく、胸がときめく。
そんな彼女を突如襲ったのが東日本大震災です。東京の自宅アパートは今まで経験したことがないほどの大きな揺れ。クローゼットの中で不気味に揺れるワンピースを見て、彼女はこう思ったそうです。
「ああ、私はこのワンピースを着ないまま死んでしまうのかな。死んでしまえば、大好きな洋服に囲まれていても、何一つ持ってはいけないんだな…。私が求めているものは、やがて自分から離れていくものばかり。それで人生、本当に後悔しないのかな?」
20代の彼女が気づいた盲点とは、どれだけ好きで大事にしていても、ずっと自分の側にあるわけではない、やがては自分から離れていく、ということでした。
大事にしていても、やがて全てと離れ離れに
「大事にし、執着してきた全てと離れ離れになるときが来るのだよ」と室町時代の僧侶・蓮如上人(れんにょしょうにん)が、こんなお手紙を出されています。
まことに死せんときは、予(かね)てたのみおきつる妻子も財宝も、わが身には一つも相添うことあるべからず。
されば死出の山路のすえ、三塗の大河(さんずのたいが)をば、唯一人こそ行きなんずれ。(蓮如上人)(意味)いよいよこの世の別れとなれば、かねてから、頼りにしていた妻子も財宝も、何ひとつあて力になるものはない。みんな剥(は)ぎ取られて、独りでこの世を去らねばならぬのである。
蓮如上人は、「かねてから頼りにしていた妻子も財宝も、何ひとつあて力になるものはない」と書かれていますが、「妻子」「財宝」とは、人によっては、社長だ会長だという「地位」であったり、「健康」という人もあるでしょう。いずれにせよ、日ごろ、これがあるから大丈夫とあて力にし、頼りにしているものを指します。
20代の彼女でいえば、洋服やアクセサリーを大事に、心の明かりとしていました。
しかし、いよいよ死なねばならないとなった時には、どんなお気に入りの洋服もアクセサリーも何一つ持って行くことはできません。それどころか、綺麗な洋服やアクセサリーで飾っていた自分の肉体さえ焼いて、残るのはひとつまみの白骨だけです。
まとめ
私たちは日ごろ何かを頼りにし、明かりとし、生きがいにして生きています。
生きている間は自分を楽しませ、喜ばせ、安心させてくれても、いつまでも自分の側にあるわけではありません。死んでいくときには、千円札1枚どころか、紙切れさえ持ってはいけません。
私たちが本当に求めている幸せとは、死が来ても、自分から離れていかない、裏切らないものであるはずです。
私たちが感じる幸せの実態をもっと掘り下げてみたいと思います。
九条えみ
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