ポックリ死ぬのが最期の夢?『九十歳。何がめでたい』から考える人生の目的
大人気エッセイ『九十歳。何がめでたい』が、映画化するそうです。
私は仕事柄、70代以上の人とお話する機会が多いのですが、著者の佐藤愛子さんの本を読んでいる人とちょくちょく出会うので気になっていました。
少し読んでみたのですが、高齢者ならではの寂しさや孤独、怒りをあえて割り切って笑い飛ばしている姿に、共感し励まされる人が多いのだろうなと感じました。
次に紹介する「老人の夢」も、共感する人が多いのだろうと思います。
ポックリ死ぬのが最期の夢
若者は夢と未来に向って前進する。
老人の前進は死に向う。
同い年の友達との無駄話の中で、我々の夢は何だろうということになった。
「私の夢はね、ポックリ死ぬこと」
と友人はいった。
ポックリ死が夢?
なるほどね、といってから、けれど、と私はいった。
「あんたは高血圧の薬とか血をサラサラにする薬とかコレステロールを下げる薬とか、いっぱい飲んでるけど、それとポックリ死とは矛盾するんじゃないの?」
すると憤然として彼女はいった。
「あんた、悪い癖よ。いつもそうやってわたしの夢を潰す……」
彼女にとってポックリ死はあくまで「夢」なのだった。そうか、そうだった。「夢」なのだ。彼女は10代の頃、アメリカの映画スター、クラーク・ゲーブルと熱い接吻を交すのが「夢」だった。ポックリ死はいうならば「クラーク・ゲーブルとのキス」なのだ。現実には掴めないことをわかっていての「夢」である。
「ごめん」と私は素直に謝った。私たちの「夢」はとうとうここまで来てしまったのだ、と思いつつ。
(佐藤愛子『九十歳。何がめでたい』より)
日本各地に「ポックリ寺」という寺があるほど、「ピンピンコロリで死にたい」という願望は強いようです。
病で長患いして周りのお世話を受けながら生きるのではなく、健康で長生きして死ぬときはコロリと死にたい。
作者が「私たちの『夢』はとうとうここまで来てしまったのだ、と思いつつ。」と述べているように、人生のその時その時の荒波に対処し、生き延びるのに必要なお金や財産、健康など衣食住を十分に確保して生き長らえてきたのに、人生終盤の夢は「死に方」というのに、生きる意味を考えさせられます。
本当の「人生の目的」とは
80代、90代のお客様からたまに言われるのが「今さら人生の目的なんて考えても笑われちゃいますが…」というもの。
しかし、仏教で教えられる「本当の人生の目的」は、若い人も年配の方も年齢にまったく関係ありません。
なぜなら「人として生まれてきた目的」を教えられているからです。
「本当の人生の目的」は、年齢による差別はありません。
また、健康状態や能力、性別や貧富も関係ありません。
次の記事では、「長生きが怖い」という声を紹介しつつ、人生の終末になっても喜べる幸せを仏教の教えから紐解いています。
ぜひご一読ください。
九条えみ
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