【疲れない働き方】協力し合える職場、対立する職場との違いは?
こんにちは、みさきです。
多様性(ダイバーシティ)を大事にしようとよく聞くようになりましたが、なかなか簡単なことではないことが日々知らされます。
職場でまとめる立場としては、年齢・性別・家庭環境・習慣・趣味嗜好などの異なるメンバーをまとめていくことは大変です。
意見が対立し、目標を達成できず、成果が出ないと、多様性がかえって足かせになっているようにも思えてきます。
今回は、多種多様な社員がいる中で、協力し合える職場・対立する職場の違いを考えてみたいと思います。
職場の対立が深まる原因
「一人一人の考えは違うのは当たり前、そんなことは分かっている」と思いますが、けっこうチームを組んでみると忘れてしまうものです。
同じ部署のAさんとBさんは新しいプロジェクトの担当に任命されました。
Aさんは今の仕事量で手一杯でしたが、Bさんの方は少し余裕がありました。
AさんはBさんが主導で新プロジェクトを進めてくれると思いこみ、何度か会議を欠席し、自分に割り当てられたタスクを先送りにしていました。
一方のBさんは、Aさんが今の仕事量が膨大であることを知らなかったため、自主的に仕事をせず自分に任せきりの姿勢を怠慢だと解釈し、他の同僚に大きな声でAさんに対する不満をぶつけました。
そのことをAさんが知り、お互いにストレスが溜まり、協力してプロジェクトを進められる状況ではなくなってしまいました。
Aさんは「私は今、仕事量が多いので、Bさんが主導で進めてくれるだろう」と思い込み、Bさんは「Aさんもこのプロジェクトを最優先に進めているだろう」と思い込んでいたために、対立してしまいました。
私たちは、自分の置かれている環境を相手も分かってくれているだろうと、で都合よく錯覚してしまいがちです。
それで「自分が正しくて、相手が間違っている」とよく言い出してしまいます。
「どちらが正しいか」でジャッジしようとすると、相手を攻撃するようになり、問題解決しにくくなり、対立が深まります。
立場の異なる者同士が協力していくのに大切なポイントは、「正しい」「間違っている」というのではなく「ただ違う」ということを受け入れていくことです。
協力し合える職場、対立する職場の違い
我必ず聖に非ず。彼必ず愚に非ず。共に是れ凡夫ならくのみ。
(聖徳太子)
(意訳)
私がいつも聖者、正しい訳ではない。相手がいつも愚者、間違っている訳でもない。私も相手も、ともに凡夫、誤った判断をする人間なのだ。
これは聖徳太子の十七条憲法にある言葉です。
「凡夫(ぼんぶ)」とは仏教の言葉で人間のことです。
仏教では「煩悩具足の凡夫」といい「どんな人も皆、煩悩の塊である」ということです。
煩悩は、1人に108ありますが、中でも私たちを煩わせ悩ませるものが3つあります。
欲・怒り・愚痴の心で、私たちは理屈ではわかっていても、感情的に抑えられないことがあります。
日々の人間関係の中で、欲・怒り・愚痴の心に振り回されていると言っても、言い過ぎではないでしょう。
私も相手も、すべての人が「煩悩具足の人間だ」と仏教では教えられています。
自分の欲を邪魔されたとき、相手にイラだち、愚痴を言いたくなります。
「自分だけでなく、相手も同じ」という人間観を持つことができれば、心を鎮めて相手の話を聞けるようになるのではないかと思います。
自分と相手との違いを知り、「正しい」「間違い」というのではなく、今、目標を達成するにはどの順番で進めていくのが適切かと、協働していけるようになりたいですね。
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みさき
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