幸せの国ブータンに学ぶ幸福感|幸福感を高める必要がない「幸せ」があると説く仏教
ブータンという国をご存知でしょうか?
南アジアに位置し、ヒマラヤ山脈の東の端にある仏教王国です。
発展途上国で物質的には貧しいのですが、2005年の国勢調査では国民の97%が「幸せ」と回答し、2013年の世界幸福度ランキングでも8位にランクインしています。
その高い幸福度から「幸せの国ブータン」と呼ばれるようになりました。
ブータンに学ぶ幸せ
物質的には裕福といえないブータン国民が、なぜ幸福度が高いのでしょうか?
仏教国のブータンらしく僧侶にインタビューしたことがあったそうです。
仏教国のブータンは、国民が仏教の教えを学び実践しているからこそ、幸せなのですね。
「足るを知る」で幸福感が上がる理由
足るを知る=「現状に満足する」ことです。
何気ない日常は決して当たり前ではありません。
「当たり前ではない」と思う気持ちから「感謝」が生まれます。
心理学の研究では、感謝することで幸福感が上がることが分かっています。
足るを知る・・・当たり前ではないと知る→感謝→幸福感が上がる
当時のブータン国民も口をそろえて「雨風をしのげる家があり、食べるものがあり、家族がいるから幸せだ」と答えたそうですよ。
毎日生きられること自体に感謝しているのが伝わりますね。
足るを知るの反対が「まだ足らん、もっと欲しい」という欲の心です。
不満を言い出したらキリがありません。
いつまでも「これで良し」と満たされませんから、足るを知って感謝するよう心がけたいものです。
ブータンの幸福度が急落?
近年、幸せの国ブータンの幸福度が、急落しています。
世界幸福度ランキングでは、2018年は97位、2019年は95位、2020年以降はついに圏外となりました。
原因は、他国の情報が入り比較するようになったからです。
昔のブータンは情報鎖国をとっており、他国の先進的な暮らしを国民が知ることはありませんでした。
情報が閉鎖されていた頃は、周り中が一様に同じような生活をしていたので、比較することもありませんでした。
比較がなければ、不満も生まれません。
しかし、今ではネットやスマホが普及し、他国の豊かな暮らしが簡単に分かるようになってしまいました。
物質的に豊かな先進国と、自分たちを比較するようになり「自分たちは貧しかったのだ」と気づいてしまったのです。
比較できるようになり、現状への不満が生まれ、幸福度が下がったと言われています。
「足るを知る」の弱点
「いまある環境は当たり前じゃない。これで十分じゃないか」と思えば、たしかに気持ちは慰められます。
実際にすべてのことは当たり前ではありません。
ささいなことにも感謝しようと心がけることは大切ですし、気持ちを前向きにしてくれます。
問題なのは「“足るを知る”を思い続けられるのか?」ということです。
どうしても他人や過去の自分と比べてしまうのではないでしょうか。
自分よりも恵まれた境遇の人が目につくと、「なんであの人ばかり…」とついつい思ってしまいます。
また、いま病気や体調を崩していると、過去の自分の健康がより羨ましく現在の自分が惨めに思えてこないでしょうか。
比較ばかりの世の中で感謝するには、自分より下の人を見続けなくてはいけません。
自分よりも病弱な人、苦しい思いをしている人、つまらなさそうにしている人…。
そんな人を目にすると「自分はまだましだな」と安心する気持ちが出てきます。
「幸せでいたいなら上見て暮らすな、下見て暮らせ」と言われます。
が、考えてみれば残酷です。
自分が幸せを感じるには、他人の不幸が必要だからです。
飢えで苦しむ海外の子どもたちや、被災された人、身近にいる不憫な人などを見続けなくてはならないのです。
執着は無くせるの?
先に述べた僧侶へのインタビューでは、足るを知るができるのは「執着が無いからだ」と答えていました。
たしかに、執着があるから、それに囚われて私たちは悩まされます。
お金に執着するからこそ、もっと稼ぎたいと苦しみます。
「あの人から好かれたい」と執着するからこそ、思い通りにならないと苦しみます。
たとえ好かれても、今度は嫌われないように神経を使います。
執着が無ければ、振り回されることもなく、いつも穏やかな気持ちでいられるでしょう。
だから執着を無くそう。こだわらないようにしようと心の向きを変えます。
しかし、それで執着を無くしたことになるでしょうか?
今度は「執着をなくそう」としていることに「執着しています」。
本当に執着をなくしたいなら、執着をなくそうと思う心も無くさなければなりません。
たとえば「あの人のことを忘れよう」と思うなら、「忘れようと思う心」を忘れないといけません。
心を見つめると、「執着をなくそうと執着している心」から離れ切ることは不可能と分かります。
執着・煩悩あるままの幸せ
執着は煩悩とも言えます。
「煩悩」とは、私たちを常に煩わせ悩ませるものです。
煩悩は生まれた時から一人ひとりに108あると、仏教で説かれています。
代表的な3つの煩悩が「欲」「怒り」「愚痴」です。
怒りの心から、言ってはならないことを言い、やってはならないことをやって後悔することがあります。
怒りと上手に付き合うアンガーマネジメントが注目されるのも、怒りで失敗したくないからでしょう。
煩悩に突き動かされ苦しみ悩む人間の姿は、古今東西変わりません。
鎌倉時代に活躍された親鸞聖人(しんらんしょうにん)という方も、煩悩を断ち切ろうと命がけの修行を20年間されました。
結果、煩悩は死ぬまで減らないし、無くならないと痛感されたのでした。
「凡夫」というは、無明・煩悩われらが身にみちみちて、欲もおおく、瞋(いか)り腹だち、そねみねたむ心多く間(ひま)なくして、臨終の一念に至るまで止まらず消えず絶えず
(親鸞聖人)
これでは私たちは死ぬまで煩悩で苦しみ悩むことになります。
親鸞聖人は煩悩あるままの救いを求められ、そして煩悩あるままでなれる幸せがあった!と教えられています。
これを仏教の言葉で「煩悩即菩提」と言います。
煩悩(苦しみ)がそのまま菩提(喜び)に転じ変わる常識破りの幸せです。
たとえるなら借金がそのまま貯金になるようなものです。
1万円の借金なら1万円の貯金、100万円の借金なら100万円の貯金になる、想像できない世界があると親鸞聖人は教えられています。
自分の心に目を向けて、いかに煩悩と離れがたい自分か分かるほど、煩悩即菩提という世界がなければ、本当には幸せになれないと知らされます。
▼煩悩がどれほど離れがたいか、親鸞聖人のご修行が物語っています。
九条えみ
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