受け身な人生を変えたいあなたへ|一歩踏み出すために知っておきたい考え方
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
お悩み解消研究家のわかです。
世の中には積極的に何でも取り組もうとする人と、自分からは動かない消極的な人がいます。
私はどちらかというと後者で、誰かから声をかけられるまで待っているタイプでした。
誰かから声をかけられれば遊びに行く。
会議中、意見を求められれば発言する。
指示があるまでは自分から動こうとしない。
どこまでも受け身でいれば楽かもしれません。
しかし、心のどこかでこのままではダメだと思う気持ちもあるのではないでしょうか。
今回は、受け身な人生を変えるためには何が必要かを考えてみます。
どうして受け身な人生になるのか
なぜ受け身な人生になるのでしょうか。
それは結局のところ責任が発生しないし、リスクも少ないからではないでしょうか。
自分から遊びに行こうと声をかけたら、どこに行くのかやスケジュールをどうするかも決める責任が生じます。
また、断られて傷つくリスクもあるでしょう。
会議で自分から発言したら、自分の意見に責任を持たなくてはいけません。
出した意見に対し、理由を問われたとき、反対意見が出たときには何か返す必要があります。
そういったことを考えると、声がかかるまで待っていた方が、責任も発生しないので楽なのです。
受け身でいることの問題点
受け身でいることはたしかに楽でしょう。
しかし、受け身でいるということは何も踏み出せないということです。
遊びくらいであれば、声がかからなければ家でゆっくりしていればいいや、とできるでしょう。
しかし仕事においては、いつまでも声をかけてもらえるわけではありません。
自分で判断し、てきぱきと動ける人に仕事が振り分けられていくでしょうし、そういう人が出世していくのでしょう。
誰かが提案してくれる、声をかけてくれるのを待っていたら、やりたいことにも踏み出せないのです。
受け身な人生では、得られたはずのチャンスをどんどん逃してしまいます。
蒔かない種は生えない
「果報は寝て待て」という言葉があります。
この言葉を調べると、「幸運の訪れは運によるのだから、あせらないで自然に時機が来るのを待て」という意味だと書かれていました。
しかし、果報とは本来因果応報を表す言葉だそうです。
因果応報は、「よいことも悪いことも、原因に応じた結果が現れる」という意味です。
これに関連して、仏教では運命の原因と結果の関係をこのように教えられています。
「善因善果 悪因悪果 自因自果(ぜんいんぜんか あくいんあっか じいんじか)」
「良い行いをすれば幸せに恵まれる。悪い行いをすれば不幸や災難に見舞われる。自分が作った原因の結果は自分にすべてやってくる」ということです。
つまり「果報は寝て待て」には、「蒔いたものは必ず生えるのだから、ジタバタせずに寝て待っていればいい」という意味なのです。
逆に言えば、タネを蒔いていないのに何かが生えるということはないのです。
一歩踏み出すために知っておきたい考え方
自分から動くことは責任もリスクも伴います。
ただ、人生は自分の力でしか切り開けないのも事実です。
誰かが引っ張ってくれるのを期待していては、何もできないのではないでしょうか。
人生の時間は想像しているよりも、ずっと短いものだと言われます。
その限られた時間を待つことに費やすのか、自ら動き出して新しいことを始めるのかで人生は大きく変わります。
蒔かぬ種は生えぬ。
すべてのことは因果応報。
これらのことを心にとどめておくと、受け身ではなく自分から動くことの重要性が知らされてくるのではないでしょうか。
まとめ
何事も受け身になってしまうのは、責任もリスクもないことが楽だからです。
しかし、受け身な人生では人生が開けるということはありません。
仏教では、良いことも悪いことも、すべては自分のまいたタネだと教えられます。
タネを蒔かなければ、何も結果は現れません。
まずは少しずつでもいいので、自分にできることから動き始めてみてはいかがでしょうか。
わか
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