【仏教から見た】能登半島地震が私たちに教えたもの|人生において大切な無常観
令和6年1月1日16時10分。
石川県能登半島で最大震度7の大地震が発生しました。
10日経っても被害の全容がつかめないほど、珠洲市や輪島市を中心に広範囲で建物の倒壊が起きています。
知人は一命はとりとめたものの、住宅が全壊する被害を受け、避難生活を余儀なくされています。
まずは生きていて、本当に安心しました。
ですが、長年の思い出がたくさん詰まった我が家が、2分の揺れで崩れていく喪失感はいかばかりかと心が痛みます。
被災者の方々が心身ともにご回復されますよう念じております。
今回は、能登半島地震からの教訓を仏教的視点から考えます。
いつ、どうなるか分からない無常の世界
今回よく聞かれた声が「まさか元日に大地震が起きるなんて・・・」というもの。
元日はテレビも人々も「おめでとう」が挨拶代わり。華やかなめでたい空気に包まれています。
離れて暮らす家族と久しぶりの一家団欒を過ごした人もあるでしょう。
元日は一年の中でも特別な日だから、なんのトラブルもなく、笑顔で過ごせるだろう、と私自身信じていました。
しかし、都合とはお構いなく、災害、事故、病気などが突然に襲ってきます。
私たちはいつ、どうなるか先の見えない不安な世界に生きています。
なぜなら、この世のものすべては常が無く続かない「諸行無常」だからだと仏教では教えられます。
形あるものは必ず壊れていきます。
健康や大切な人との時間なども、絶えず変化し、悲しいですが永遠には続きません。
無常のなかでもショックなのは「自分の死」でしょう。
死は突然襲ってくる
「やがて死ななければならない」と頭では分かっていても、「今日が死ぬ日だ」とは思えません。
目覚めたとき、「今日が自分の死ぬ日だ」と思った人はいなかったでしょう。
「今日は元日だから」
「もうすぐ結婚式だから」
「久しぶりに子どもや孫に会えるから」
私たちの都合とはお構いなく、死は突然襲ってくるのです。
そんな命の儚さを教えられたのが、浄土真宗の葬式などで読まれる『白骨の章(御文)』です。
朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり (蓮如上人)
元日の朝「今年もよろしくお願いします」と挨拶していた方が、夕方の大地震で亡くなってしまわれたのです。
残された時間はどれだけ?
生まれた者は必ず死んでいきます。
1日1日死へと近づいているのが私たちです。
しかも、死はいつ襲ってくるか分かりません。
明日の予定を立て、5年後、10年後…と将来を考えていますが、残された時間はどれだけでしょうか。
「死を考えても暗くなるだけ」
「死ぬことばかり考えてたら、生きていけないよ」
そんな風に言われる方もありますが、有限な命と自覚することは、より良い命の使い道を考えることになります。
命の短さが身に沁みて感ずるほど、人間らしい生き方を営むようになる (ブッダ)
また、自分の命も何もかも続かない無常と見つめることは、変わらない幸福を求める第一歩なのです。
無常を観ずるは菩提心(ぼだいしん)の一(はじめ)なり
浄土真宗の祖師・親鸞聖人(しんらんしょうにん)が、9歳で出家されたのも、無常を深く感じられたからです。
わずか9歳で出家された親鸞聖人|幼くして両親と死別し天涯孤独となる
九条えみ
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