明るく楽しく生きたい人必見!人生が暗くなるか明るくなるかは何で決まるとブッダは説くか
できることなら不安や悩みを避け、明るく楽しく生きたいと願います。
では、今を明るく楽しく過ごすには、何が必要でしょうか?考えてみましょう。
気の合う友人と語らう、恋人と過ごす、好きな趣味に没頭する、美味しい食事を食べる、スポーツしてリフレッシュする…など色々あがります。
これらはたしかに喜ばせ楽しませる要素でしょう。
しかし、状況を変えてみると、必ずしも幸せにしてくれるとは言えなくなるのです。
たとえば、もし3日後に命を左右する大手術を受けるとなっていたら、同じように楽しめるでしょうか。
好きな人であればあるほど、もしかしたらこれが最期の別れになるかもしれないと、寂しく悲しくなる気持ちが起きるかもしれません。
美味しい食事や趣味に没頭しようとしても、3日後の大手術が頭をよぎり、心から楽しめないかもしれません。
逆に、3日後にずっと楽しみにしていた旅行へ行くとなったらどうでしょうか。
まだ旅行へは行っていなくても、何だか気分がウキウキしてきませんか?
このことから、未来と今は密接な関係があることが分かります。
未来に嫌なことや心配事があると、今から不安になります。
未来に楽しいことや嬉しいことが待っていると、今から楽しくなります。
今を楽しくするには、明るい未来が待っていることが必要なのです。
では、明るい未来にするためには、どうしたら良いでしょうか。
明るい未来を考える上で、問題になるのが「老病死」です。
時が経つほど、身体は老い、病気がちになり、最後には死が待っています。
この「老病死」が自分を不安にさせる要因であることに若くから気づかれたのが、仏教を説かれたブッダでした。
ブッダは王の子として生まれ、生まれながらに高い地位を約束されていました。
また、文武両道で武芸、学問の師を超えてしまうほど優秀な才能を持っていました。
妻にも子どもにも恵まれ、城での生活は何不自由なく満たされていました。
お金、地位、健康、才能、妻子など、「これが手に入れば幸せになれる、明るい未来になれる」と私たちが想像するようなものは若くから全て手に入れていた方がブッダでした。
そのブッダがある時、病人、老人、葬式の列を目にして、「老病死」によって、今の幸せ安心がやがてぶち壊されてしまうことに気づいたのです。
これが出家のきっかけと言われる「四門出遊」のエピソードです。詳しくは下の記事をごらんください。
仏教では「死」を問題にするので、暗い気持ちになるから敬遠するという声も耳にします。
仏教というと、道徳や倫理の延長線上のように思い、この世を仲良く暮らしていくためのものと思う人がいます。
仏教を学ぶ知人の70代女性も、「私はこの世明るく楽しく生きられればそれでいい。それを教えているのが仏教かと思ったら、死の話が出てきて暗くなる」と言われていました。
しかし、それほど避けたい死が未来に待ち構えていては、どんな楽しみも一時的なごまかしになってしまうのではないでしょうか。
明るく幸せな人生を送るためには、死は切っても切り離せないのです。
そして、死を解決しない限り人生を根本的に明るくすることはできないと気づき、死の解決のために修行をされたのが、実にブッダでした。
仏教はもともと「死」を前提に教えが説かれているのです。
老病死を身近に感じている方は、仏教の教えに共感される所があると思います。
九条えみ
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