良かれと思ってしたことが裏目に出たときの考え方|親切は決して無駄にならない
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
お悩み解消研究家のわかです。
先日、知人が電車に乗った際、ご年配の方に席を譲ろうと声をかけたそうです。
そうしたところ、「自分はまだそんな年じゃない!」と気分を害されてしまったのだとか。
知人は親切心から声をかけたのですが、それが裏目に出てしまいモヤモヤしたと言っていました。
知人の気持ちもわかるし、断った人の事情もわかります。
良かれと思ってしたことが相手に受け取ってもらえなかったとき、どう考えればよいのでしょうか。
親切にするのはよいこと
人に親切にするのがよいこと、というのはみんな知っているでしょう。
子どものころから教えられ、実行するように勧められてきたことだからです。
その根底にあるのは、おそらく仏教の教えだと思います。
仏教では、「よいことをすればよい結果、悪いことをすれば悪い結果、自分のやったことはすべて自分に返ってくる」という教えがあるのです。
お釈迦さまは生涯でたくさんの善を説かれましたが、私たちが実行しやすいように6つにまとめられています。
これを六度万行(ろくどまんぎょう)といい、その最初に挙げられるのが親切です。
仏教の言葉では布施といいます。
布施は普施とも書き、あまねく施す、広く与えるという意味があります。
親切とは、労力や時間やお金、心遣いなど様々なものを他人に与えることなのです。
結果は縁によっても変わる
冒頭で知人がした席を譲るというのも、よい行いの一つです。
しかし、今回の場合は譲ろうとしたけれど、相手の気分を害するという結果になってしまいました。
このような時にどう受け止めればよいのでしょうか。
仏教では、良くも悪くも自分のした行いが自分に返ってくるという因果の道理を教えられます。
ですから、自分の行いが重要なのですが、もう一つ大事なのが「縁」です。
自分の行いが直接的な原因とすれば、縁は間接的な原因とも言えます。
種だけあっても土や水、養分などがなければ花は咲きません。
ここで言う種とは直接的な原因、土や水、養分などが間接的な原因です。
そのように、日常の中で起きる出来事にも直接的な原因と間接的な原因があるのです。
冒頭の状況で言えば、席を譲るという原因があっても、縁がなかったためにいい結果には結びつきませんでした。
もしも、「席を譲ってもらいたい」と思っている人が相手(縁)だったら、感謝されたかもしれません。
つまり、自分が行動したということだけではなく、相手やその時の環境などにも左右されるということです。
親切は決して無駄にならない
結果に結びつかなかったのであれば、その行いは無駄になってしまうのでしょうか?
実は、そうではないのです。
お釈迦さまは、私たちの行いには運命を引き起こす力があると教えられていて、これを業力(ごうりき)と言われます。
何かの行いをしたならば、それは業力となって残り、結果を引き起こすまでは決してなくなりません。
席を譲るという行いは、その場では結果が現れなかったかもしれません。
しかし、力としては残っているので、何かの縁がくれば、別の形で善い結果となって返ってきます。
親切したことは決して無駄にならないのです。
良かれと思ってしたことが裏目に出てしまったら落ち込むのは当然でしょう。
ただ、その時は縁がそろわなかっただけですので、親切な行動はぜひ続けていただきたいと思います。
まとめ
良かれと思ってしたことが裏目に出てしまうことはあるものです。
そんな時、ショックを受けて親切をすることに消極的になってしまうかもしれません。
仏教ではよいことをすればよい結果がくると教えられています。
一度した行いは業力となって残りますから、縁が来ればいずれ必ず結果となって現れるものです。
伝え方がどうであったか、タイミングがどうだったかを振り返ることは大事ですが、決して落ち込むことはありません。
親切は周りの人も自分も幸せにする行いですから、ぜひ続けていただきたいと思います。
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