どんなに備えても不安がなくならない|人生において一番備えるべきところとは?
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
お悩み解消研究家のわかです。
先日、ある方と話をしていた時にこんなことを言われていました。
「昔は物が無い時代だったから、なくても何とかしようと対応していました。
でも、最近の人は物に恵まれているからか、無くなることに対しての不安が常にあるみたいです。
私の娘はトイレットペーパーがなくなりそうになると、5パック、6パック買ってくるんですよ」
自分のことを振り返っても、確かにそうかもしれないと感じました。
もしもの時に対して備えるのは大切なことですが、備えても不安なことは次から次に出てきます。
いつも不安なのは、いったいなぜなのでしょうか?
有事に備えておくのは大事
危機管理の基本は、「最悪を想定して最善を尽くす」ことだと言われます。
震災が起きたら。突然病気で倒れたら。リストラされたら。
そういった事態を想定して備えておくのです。
「起きたら起きたときに対処すればいい」と考える人も中にはあります。
しかし、いざ有事が起きたら手遅れで、何の対処もできないのです。
そして、「あの時に準備しておけば」と後悔した経験は、山ほどあるのではないでしょうか。
平和な時こそ、緊急事態を想定して備えておくことが大事でしょう。
何が起こるかわからないのが世の中
私たちは様々な緊急事態に備えていますが、想定外のこともたびたび起きます。
そのようなことに対して、あらかじめ備えておくというのは不可能でしょう。
『歎異抄』という古典には、私たちの住む世界を「火宅無常の世界」と書かれています。
「火宅無常の世界」とは、「火宅」が家のひさしに火が付いたような状態のことで、不安なこと。
無常とは、「諸行無常」とも言われるように常がなく続かないことを言います。
仏教では、すべてのものは無常であると教えられます。
形があるもの、ないものに関わらず、同じ状態で続いていくものは一つとしてありません。
ですから、いつ何が起きてもおかしくありませんし、常に「失うかもしれない」という不安が付きまとうのです。
不安がなくならない本当の原因
私たちが想定している緊急事態というのは、起きるかもしれませんし、起きないかもしれません。
また、人によっては生涯のうち一度も経験せずに済む人もあるでしょう。
ところが一つだけ、すべての人が例外なく100%経験することがあります。
それは、誰しもが必ず迎える死です。
誰もが最後必ず死んでいかなければなりません。
しかし、死んだらその先はいったいどうなるのか、誰にもわからないのです。
それはちょうど、目隠しをしたまま進んでいかなければならないようなものでしょう。
自分がいく先に何があるかわからないのに、進んでいくというのは大変不安です。
考えうるどれだけの対策をしても、不安がなくならないのは、この死という問題があるからだと仏教では説かれています。
人生において一番考えるべきこと
地震や火災に備えて保険に入っておいたり、避難訓練をしたり、防災グッズを用意することも大切でしょう。
老後のために資金を蓄えておくのも大事なことです。
しかし、それらのことよりも重大なのは、必ず死なねばならないのに、その行く先がまったく分からないということです。
「そんなの考えたってわかるわけがない」と思われる人もあるかもしれません。
実は、その問題の解決を生涯教えられた方がお釈迦様なのです。
仏教には、私たちが感じている不安の正体と、その不安を解消する方法が教えられています。
ぜひ、学んでみていただきたく思います。
わか
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