老後不安はどこからくる?|ぼんやりした不安の正体とは
こんにちは。こころ寄り添う研究家の九条えみです。
今回のテーマはちょっぴりディープな老後不安です。
9割が抱える老後不安
昨年のニュースで一躍話題になったのが「老後2,000万円問題」です。
いつのまにやら人生100年時代の言葉が飛び交い、ニュースや新聞、書籍、ネットなどでも、長い老後をどう生きていくかの話題は尽きません。
老後の不安について、当ブログにこんな記事がありました。
日本人の多くは長生きすることを不安に感じている、という調査結果がありました。
平成28年の生命保険文化センターの「老後の生活」についての意識調査によると、日本人の約9割が不安感を抱いているようです。
100歳まで生きるのが当たり前となる、人生100年時代が到来すると言われていますが、そうなると不安になるのが、長期化する老後で貯金が尽きてしまうのでは、という心配でしょう。
人生100年時代には、定年退職が現在の65歳から75歳までに引き上げられるとも言われますが、退職後も100歳まで生きるとすれば、残り35年又は25年あります。
その間、その日暮らしとなれば、長生きすることが幸せだとは言えないのは頷(うなず)けます。
たしかに、会社で電話応対をしていると、定年退職がせまっている50代~60代、そして再雇用で頑張られている70代の方から、老後の不安をお聞きすることがよくあります。
未来は今の積み重ねですから、身体の動けるうちから対策を取っておきたいお気持ちはよく分かります。
ただ、老後問題を考えるときに、あれ?と思うことがあります。
それは、前提として「自分には長い老後生活が待っている」と誰もが当然のように考えていることです。
老後よりも確実にやってくる未来とは
老後を考えると、身体の動く今から不安な気持ちになります。
その不安は、80歳、100歳まで生きられると思ってのことです。
私も平均寿命くらいまでは生きられるだろうと、根拠もなしに信じています。
それでは、ぶしつけな言い方かもしれませんが、すべての人に「老後」はあるのでしょうか?
総務省統計局の統計データによると、2019年の総人口に占める100歳以上の割合は0.1%です。100歳まで生きる人は、1,000人に1人です。
0.1%は決して高い数字とは言えないでしょう。
若くして病気や事故に遭えば、老後はありません。
老後は必ず訪れるものではないのですね。
一方で、万人に100%来る未来があります。
それは死でしょう。
老後のない人があっても、死なない人はいません。
老後の問題も、たしかに身体の動くうちから考えていた方が充実した人生になるでしょう。
だから、老後問題を考えることは大切で必要だと思います。
イソップ物語のアリとキリギリスのように、何の準備もなしに冬を迎えたキリギリスよりも、夏のうちからせっせと働いて楽しく冬を過ごしたアリの方が幸せそうですよね。
ここで問題提起していることは、老後を心配するなら、それよりも確実な「死」も議論に上がってよいのではないか?ということです。
きっと、老後問題がこれだけ人々の関心を集めているのは、ニュースや新聞、周りの人などから見聞きして、自分のこととしてイメージがつきやすいからでしょう。
よく聞く話では、年金だけでは生活が困窮するとか、80代の妻が同じく80代の夫を老々介護しているとか、親が認知症になり付きっきりで面倒を看ないといけなくなった・・・とか、老後問題はいよいよ表面化しています。
自分と同じような年代の人たちが、老後問題を抱えていると知り、自分も何かしなくては・・・と自分事になるのですね。
死の問題の捉え方
老後問題も大切ですが、老後にはある人とない人がいます。
一方、死の問題は100%でしょう。
なのに老後問題ばかり取り上げて、より確実な死の問題を論じない風潮はおかしいのでは?と書きました。
では、死の問題と聞いて、どんなことを思い浮かべるでしょうか?
ある60代の女性から、こんなメールをいただきました。
死を考えると死の先にある世界が見えず、分からず、不安でいっぱいになります。
友人たちに聞くと、「迷惑かけないで死にたいよね。それまで楽しく一生懸命生きたいよね」という答えが返ってきます。
「そうではなくて」と思うのですが、説明もできずにいます。
不安はおさまりませんが、日々、仏教の教えを聞き続けたいと思っております。
(長野県 60代・女性)
友人たちは死の問題を「死ぬまでの生き方、迷惑かけない死に方」と捉えています。
一方、このメールをくださった方は、死の問題を「死んだ後の世界が分からない不安」と言っています。
つまり、視点がこの世だけか、あの世も含めるのかという違いです。
ぼんやりした不安はどこからくる?
有るやら無いやら分からないあの世のことを、今からとやかく考えて何になるんだ、という意見もあるでしょう。
たしかに、死人が生き返って「死んだ後はこうなるぞ」と教えてくれれば、まだ問題にする人もあるかもしれません。
しかし、実はふだん私たちが感じる「ぼんやりした不安」の正体こそ、死後の世界が分からないことから起きているといわれます。
当社がお届けする『月刊なぜ生きる』に、掘り下げた記事がありました。
死という悲劇の〝滝つぼ〟の待つ未来を、私たちの魂はウスウス予感しております。
「何というわけでもないが、何かむなしい」
「家庭や友人に恵まれているのに、独りぼっちと感じることがある」
「成功しても、思ったほどの充実感がない」
「毎日、同じことの繰り返し。こんな人生に何の意味があるのだろう」
こうした「ぼんやりとした不安」は、突き詰めれば、一日一日、「死」に向かっているところから来ています。
なぜ人は「死」を恐れるのか。
真面目に死と向き合った時、得体のしれない不安や不気味さを感じるのは、実は、死んだらどうなるか、自分の行く先がハッキリしていないからなのです。
この死んだらどうなるか分からない、後生(ごしょう)暗い心を「無明(むみょう)の闇(やみ)」といい、苦悩の根元と仏教では教えられます。
この闇が晴れない限り、何を生きがいに、どう生きようと、生の根底が暗いので、生命の歓喜を味わえないでいるのです。
(『月刊なぜ生きる』令和元年7月号より)
仏教は、この死んだらどうなるか分からない、後生暗い心の解決を目的とする教えといわれます。
九条えみ
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