寝たきりの高齢者と働き盛りの若者の命の価値は平等?|なぜ命の価値は平等といえるのか
こんにちは。こころ寄り添う研究家の九条えみです。
知人の医師があまりの労働環境に転院したと聞きました。
転院先の業務は確かに忙しいけれど、前の病院に比べると10分の1楽ですねと晴れ晴れと言っていました。
高齢者と青年の命の価値問題
先の知人が日々医療に携わり命の価値について疑問が出てきたと切実に語っていました。
「毎日病院で、寝たきりの人や認知症になってしまった人を見ています。
多くの患者さんに、働き盛りの医師や看護師が身を削って医療を施しています。
増え続ける高齢者に医療費は拡大し続け、日本の財政もひっ迫しています。
医師不足が叫ばれているなか、何を生産するわけでもない人たちに労働力を取られている。
それならば、もっと働き盛りの未来ある人たちの手当てを充実させた方が良いのではないか。
医師を志していた学生のときは、医者はもっと崇高な仕事だと思っていたけれど、現実はこんなものかと失望している気持ちもあります。
こんなことを言うのは倫理に反しているのは重々承知ですが、生産性のない人たちと、働き盛りの人では命の価値が平等とは思えない自分がいるのも本当です。
なぜ命を延ばすのか?
実際に、医療現場を目の当たりにして、この問いの重さを痛感しています」
自分に価値があると思えない高齢者がいる
高齢者自身も、働き盛りの昔は社会に貢献できたので自分には価値があると実感できたけれど、高齢になりだんだんとできることが限られてくると、生きる意味が分からなくなってきたと言われます。
「年取って、自分は生きていてもしょうがない、必要とされてないと感じると、気力がなくなり死んでしまいそうです」
「朝、目が覚めたら急に腰に激痛が走り、病院に行くと圧迫骨折だと診断されました。あれから3か月経っていますが、今も痛いです。横になっても痛いし、座っても痛いし、毎日が辛いです。なんで生きるんだろうと思います」
命の価値=能力・地位ではない
「命の価値は平等」という言葉に頷く人は多いでしょう。
それなのに、なぜ命の価値は平等だと思えなくなるのでしょうか。
それは能力・地位などの所有物をその人自身の価値だと思うからです。
先の話でいえば、何かを生産し社会に還元できる能力のある若い人は価値があり、反対にその能力が衰えた高齢者は価値がなくなるという考えです。
しかし、命の価値と能力・地位などの所有物とは全く別ものであると明らかにされたのがお釈迦さまです。
命の価値とは、すべての人が等しくもっている尊厳な価値です。
それは、人間に生まれなければ果たせない尊い目的があるからです。
これを「天上天下 唯我独尊」という言葉でお釈迦さまは教えられました。
九条えみ
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