長寿社会を考える「十分生きたから悔いはない」はホント?
こんにちは。こころ寄り添う研究家の九条えみです。
年末年始に祖父母と会ってきました。
後期高齢者に突入し、体力や認知症にならないかなど 不安が多くなっているようでした。
とりわけ、78歳の祖父の口から「もう、十分生きた」と言葉が漏れた時には胸に迫るものがありました。
長生きを憂う声
70代後半、80代ともなると、身体が思うように動かず、病気も出てくるようになります。
そのような方から時折、こんな本音をお聞きすることがあります。
「もう十分生きたと思います。
一人暮らしで、頼れる人もいません。
病気で身体がしんどいし、趣味もできなくなりました。
早くお迎えが来ないかな・・・という思いになることもあります」
この先、長生きしても楽しいことより、苦しいことの方が多いだけだろうと思われてのことでしょう。
自分も同じ立場なら、同じように思うだろうなとお聞きしていました。
「人生レストラン」の話
日本人の平均寿命が約80歳となった今日。
考えてみたいのは、80年も長生きしたのだから、誰しもが満足して人生を終えることができるのか?ということです。
それについて考えさせられる「人生レストラン」という話をご紹介します。
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たとえば、レストランに入って、ハンバーグを注文したとします。
ハンバーグを待つ間、テレビを観たり、漫画を読んだり、友人とお喋りしたりと楽しい時間を過ごしました。
しかし、いっこうに注文したハンバーグは出てきません。
やがて閉店時間となり、 店員から「店を閉めるので帰ってください」と言われました。
結局、ハンバーグを食べられないまま店を出ることになったのです。
こんな時に「ハンバーグが食べられなくても、テレビや漫画にお喋りと楽しい時間を過ごしたんだから不満はないだろう?」と言われて納得できるでしょうか。
レストランに入った目的はハンバーグを食べるためです。
その目的が果たせれば、テレビも漫画もお喋りがなくても、満足してレストランを出ることができます。
逆に、たとえテレビや漫画、お喋りで楽しく過ごせたとしても、ハンバーグを食べるというレストランに入った目的を果たせなければ、満足して出ることはできないのです。
人生も同じことが言えます。
人生という舞台から降りるときに、満足して終わるか、それとも後悔に終わるかは、 人生の目的を果たしたかどうかがポイントになります。
「人間に生まれたのはこの目的果たすため」という人生の目的が果たせたならば、いつ人生の舞台から降りることになっても、後悔はないということです。
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まとめ
長寿社会の今日。
病気や生活の不安など、長生きを憂う声も目立ってきています。
十分生きたから、早くお迎えが来てほしいと望む人もいます。
しかし、後悔なく人生を終えるには「人生の目的」を果たしたかどうかがポイントになると言われています。
九条えみ
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