いつの時代も変わらぬ願い「自由に生きられたら幸せ」は本当か

こんにちは。こころの悩みサポーターのこうへいです。

映画やドラマの宣伝を見ていると、「自由を求めた女性」や「自由のなかった時代に自分の心に正直に生きた女性」などのうたい文句を目にします。
“自由に生きた”と言われる生き方が映画やドラマの素材になるのも、多くの人が憧れ、心を打たれるテーマだからかもしれません。

「自由に生きたい」
「自分を偽らずに生きたい」
「自分に正直に生きたい」

このことは多くの人の求める生き方であり、自由に生きられれば幸せになれると思っているということでしょう。

格段に自由になった現代人の憂い

今年(平成30年)の大河ドラマは西郷隆盛の生き様を描いたドラマ『西郷どん』がやっています。
その『西郷どん』の中で、西郷に思いを寄せる幼馴染の糸さんが親の決めた相手に嫁いでいく場面がありました。
その時に、アメリカ帰りのジョン万次郎から、アメリカでは好き合った人同士が結婚するという話を聞いて、糸さんは「日本もそんな世の中になればいいのに」と言っていました。

これが歴史的事実かどうかはいろいろな批判もあるようですが、ドラマとして描かれると言うことは、自分の選んだ相手と自由に結婚できることが幸せなんだという考え方にうなずく人は多いということでしょう。

その時代から150年、今日では多くの人が好きな人と自由に結婚しています。
それでみんな幸せかと考えると、3組に1組が離婚していることからも、必ずしも幸せになっていない実態が見えてきます。

また最近は夫の何気ない言動に対する不満がストレスとなって引きおこる“夫源病(ふげんびょう)”と言われる病気が増えているそうです。
昔と比べると格段に自由になったと言われる現代でも幸せは遠いようです。

自由奔放に生きたと言われる女流作家の嘆き

自由奔放に生きたと言われるのが、女流作家の林芙美子(はやしふみこ)さんです。
自身の自伝小説である『放浪記』には、貧困の中を仕事も男も転々と変えながらも自分を偽らず向上心を持って生きる女性の生きざまが描かれています。
そうした生き方が多くの人の心に響いたのか、『放浪記』はベストセラーになり、今日でも舞台で上演されて人気を博しています。

そんな林芙美子さんが晩年にこんな言葉を残しています。

花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき

この言葉は林さんがよく色紙に書いていた短歌の一節だそうですが、自由奔放に生きたベストセラー作家も苦しみの多い人生からは離れられなかったようです。

自由を求めてやりたい仕事を選んだ男性のため息

これまで女性の話題ばかり出してきましたが、自由を求めるているのは男性も同じでしょう。
そういえば「自由に生きた男」といううたい文句はあまり聞かない気がします。
自分のやりたいようにやった無責任な男のように感じるからかもしれません。

しかし男性でも、自由な生き方を求めていることに変わりはないでしょう。
「インターネットビジネスで短時間で高収入、海外旅行など自由な時間を過ごせます」などと言って、インターネットビジネスに誘ってくる人があることからも、自由な時間を求めている人の多さが分かります。

弊社発行の月刊誌『とどろき』の中で、学生時代にダイビングを趣味にしていた人が、ダイビングのインストラクターとこんなやり取りがあったことを語っていました。

私がよく行っていたダイビング場に40代の男性のインストラクターがいました。
その男性は、元は多くの人が知っている有名な企業に勤めるサラリーマンでした。
ところが、延々と仕事に追われる毎日に思い悩んだ結果、学生時代からの趣味のダイビングで生きていきたいと思ったそうです。
反対する奥さんを説得し、念願のダイビングのインストラクターになったのは30代半ばのことだったそうです。
最初のうちは、貯金を切り崩しながらの厳しい生活が続きましたが、次第に収入も安定していったそうです。

ところが、ある打ち上げの席で、そのインストラクターの男性がこうつぶやきました。
「海に潜っている時だけ心が休まるよ」
近くにいた学生がそれを聞いて「いっそのこと魚に生まれたらよかったですね」と笑い話のように言いました。

「本当にそうだ。魚に生まれたらよかったよ」
こう言ったインストラクターの男性の重い口調にみんな何も言えなくなってしまいました。

自分の意志でやりたい仕事に就いた男性でも、本当に自由にはなれなかったのでしょう。

有名な古典『歎異抄』に書かれた不思議な幸せ

『歎異抄(たんにしょう)』という古典の中に、無碍の一道(むげのいちどう)という言葉があります。
碍(げ)とは障りということです。障りが障りとならなくなったというのが無碍(むげ)ということです。
一道とは幸福ということです。
私たちを縛り、幸せを妨げる障りが、障りとならなくなった幸福無碍の一道(むげのいちどう)ということです。

『歎異抄(たんにしょう)』は多くの人に読まれ、幾多の著名人を惹き付けて止まない本だと言われます。
無碍の一道(むげのいちどう)という幸せがあることが美しい文章で書かれているからかもしれません。

まとめ

誰もが自由な生き方を求めています。
ところが自由に生きたくても生きられないのが現実です。
そんな中、自由な生き方を選んだ人であっても、心からの幸せは感じられないようです。

『歎異抄(たんにしょう)』という有名な古典の中に、無碍の一道(むげのいちどう)という言葉があります。
障りが障りとならなくなった幸福があると教えられているということです。

自由な生き方にあこがれる気持ちがあるならば、『歎異抄(たんにしょう)』にも注目してみてはいかがでしょうか。

『歎異抄(たんにしょう)』について知りたいと思われた方はこちらの記事もどうぞ
『歎異抄』が好き!日本人の心をガッチリつかむその理由は?

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こうへい

チューリップ企画で動画制作を担当しています。 大学生のときに同じことの繰り返しの毎日にどんな意味があるのかと悩みました。しかも友人に相談しても分かってくれる人がなかったことが大きな苦しみでした。 その時に読んだ仏典の言葉に励まされました。その後、講演会の運営の手伝いをする機会があり、さまざまな悩みを持って参加した多くの人たちの声を聞かせてもらいました。私も学びながら、皆さんの悩みに寄り添っていける情報を発信していけたらと思っています。
心が穏やかになった人へ
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