「死にたい、死なせて下さい」この声を聞かれたお釈迦さまの答えは
こんにちは。週末に仏教の講演会へ行くのを楽しみにしているこうへいです。
先日、ある人と話をしていると
世界では著名人でも自ら命を断つ人があること、
そして日本でも自殺をする人が後を絶たず、若者の自殺者が増えてきているということが話題になりました。
これらの話題については、具体的な名前や数字を上げなくても、ニュースなどで耳にしたことがあると思います。
「死にたい」こんな声をネット上でよく見かけます。
面と向かっては言えない本音をネット上で書き込んでいるのかもしれません。
お釈迦さまは自殺する人は無知だと仰っている
冒頭の会話の話に戻ります。
私が仏教を学んでいることを知っていたその人は、
「仏教ではやっぱり自殺は悪いことだと言われているんですか」
と尋ねてきました。
「仏教を説かれたお釈迦さまは、自殺は愚かな行為だと教えられていますよ。
そして自殺する人は、大事なことを知らない、無知でかわいそうな人だと言われているのですよ」
こう私が答えると、
聞いてきた人は「それはどういうことですか」とさらに尋ねてきましたので、以前に『とどろき』(弊社発行の仏教がよく分かる月刊誌)で読んだこんな話をしました。
死にたいと望む娘を導かれたお釈迦さま
ある日、お釈迦さまが、托鉢の道中、大きな橋の上であたりをはばかりながら、若い娘が袂(たもと)へ石を入れていました。
確かに自殺の準備のようです。
哀れに思われ近寄られたお釈迦さまは、優しくその事情を尋ねられました。
娘は、ほかならぬお釈迦さまなので、一部始終を告白しました。
「実は、お恥ずかしいことでございますが、ある男と親しくなりましたが、その後、見捨てられました。
世間の目は冷たく、お腹の子どもの将来なども考えますと、死んだほうがどんなに楽だろうと思います。どうか、このまま見逃してくださいませ」
と泣き崩れました。
お釈迦さまは憐れに思われながらも、厳しく仰せになりました。
「なんとそなたは、愚かなことを考えているのか。
そなたには例えをもって話そう。
あるところに、毎日、荷物を満載した重い車を引かねばならぬ牛がいた。
なぜオレは、毎日こんなに苦しまねばならぬのか。
オレを苦しめているのはなんなのかと、牛は考えた。
その時、牛は、この車さえなければよいのだと思いついた。
そこである日、猛然と突っ走って、大きな石に車を打ち当て壊してしまったのだ。
ところが、後日、牛の親方が、今までの何十倍、何百倍重い、絶対に壊せない鋼鉄製の車を造ってきたのである。
今となっては、どうすることもできない牛は、前の車を壊したことを深く後悔したが、後のまつりであったという。
そなたは、その肉体さえ壊せば、楽になれると思っているのだろうが、死ねば、もっと苦しい世界へ飛び込むだけなのだ。
そなたには分からぬだろうが、地獄の苦しみは、この世の苦しみどころではないのだよ」
お釈迦さまはそれから、諄々(じゅんじゅん)と教えを説かれたのです。
娘は、初めて知る一大事に驚き、仏教を聞いて救われたと言われています。
人間に生まれてよかったという幸せを説かれたお釈迦さま
お釈迦さまは、生きる力を失い、自ら死を選ぼうとしていた娘をこのように導かれました。
「人間に生まれてよかった」という現在から未来永遠に変わらない幸せになる道を教えられた方が、お釈迦さまです。
人身受け難し 今すでに受く
(生まれがたい人間に生まれてよかった)
有名なお釈迦さまのこのお言葉で教えられるように、つらい毎日だったけれど、この幸せになるためのこれまでの人生だったのかと、流した涙の一滴一滴が真珠の玉となってその手に戻る時が必ずあるのだと説かれています。
まとめ
未来に希望が持てず、不安で暗い生活を送っている人が多いと言われる現代こそ、なぜ死を選んではならないのか、なぜ生きるのかの答えが求められているのかもしれません。
生きる意味を知って、幸せな人生を歩みたいものです。
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