言うことを聞かない人は過去世の私|言うことを聞かない人への向き合い方
こんにちは。こころの悩みサポーターのこうへいです。
相手のことを考えて、いろいろと教えたり、こうしたらどうかと勧めたのに、その相手が全く言うことを聞いてくれないと腹が立つものです。
相手のことを思う気持ちが強ければ強いほど、自分の言うことを聞いてもらえない時の怒りや悲しみは深く大きなものになるでしょう。
そして落ち込んだり、嫌になってしまう人もあるかもしれません。
言うことを聞かない後輩に悩むAさんの述懐
先日、仏教を学んでいる知人のAさんからこんな話を聞きました。
私には大切な後輩がいます。
その後輩に良くなってもらいたいと、私がいろいろとアドバイスをしたり、こうしたらどうかと提案をするのだけれど、その人は反発してばかりでした。
どうしてこんなに素直でないのかと腹が立って仕方がありませんでした。
その人を相手にしていると私自身も元気がなくなっていきました。
この前、仏教の先生にこのことを相談したら、こう教えてくださいました。
「Aさん、その後輩は過去世のあなたの姿なのではないでしょうか。過去世の自分のことを忘れてしまっているから、腹が立ち嫌になってくるのではないですか。そんな過去のあなたを見捨てずに、悩んでくれた先輩があったのではないでしょうかね」
私はこの言葉を聞いて、ハッとさせられました。
そしてとても前向きな気持ちになりました。
Aさんがなぜハッとさせられ、元気が出たのか、よく分からないという人が多いと思います。
このAさんの気持ちが少しでも分かってもらえればと思いますので、仏教の基礎的な知識を紹介しつつ、少し補足していきます。
“まかぬタネは絶対に生えない”が仏教の根幹
仏教の根幹(こんかん)は因果(いんが)の道理(どうり)と言われます。
根幹とは、仏教を一本の木に例えると根や幹にあたる教えだということです。
因果の道理が分からなければ、仏教は絶対に分からないと言われる、大事な教えが因果の道理なのです。
因果の道理を分かりやすく言えば
まいたタネは必ず生える
まかぬタネは絶対に生えない
ということです。
今の私に現れる結果の原因(タネ)は私が過去にまいたものです。
ですから、言うことを聞かない後輩に腹を立てて悩んでいるのも、私のまいたタネの結果なのです。
私が言うことを聞かずに当時の先輩を悩ませたことがあった、そのタネまきの結果が今現れているのでしょう。
言うことを聞かない後輩は過去の私の姿と言えます。
過去世の私はどうだった?
こう聞くと「私はそんなにひどくはなかった、私は素直だった」言う人もあると思います。
そんな人でも、過去世ではこの後輩よりももっとひどい時があったのではないかと言われます。
仏教では、私たちの生命の流れは過去からずっと続いていて、たくさんの生き死にを繰り返していると説いています。
「袖触れ合うも多生の縁」という言葉がありますが、たくさんの生き死にを繰り返していることを多生と言われているのです。
今、生まれてから死ぬまでの一生を今生(こんじょう)と言われ、生まれる前を過去世とか前世と言われます。
今生で私は言うことを聞かないようなひどい人間ではなかったという人でも、過去世においては先輩を悩ませるような行為を繰り返していたかもしれません。
まかぬタネが生えることはありませんから。
言うことを聞かない後輩が私の過去の姿なのかと知らされると、腹が立つことはあっても、私も同じだったではないかと反省する心が出てきて心は穏やかになるものです。
そしてそんな自分のことを悩んでくれた人があったのだと分かれば、感謝し、前向きな気持ちになれるのです。
まとめ
言うことを聞かない相手に腹立って仕方がないという人は、仏教の根幹の教えを学んでみてはいかがでしょうか。
Aさんのように心が落ち着いて、前向きになれるかもしれません。
「果報は寝て待て」という言葉を聞いたことのある人は多いと思います。
この言葉も因果の道理を表した言葉なのです。どんなことでしょうか。
これを知れば運命が変わります。
「果報は寝て待て」でいいの?|幸せになるために身につけたい思考法
こうへい
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