任せたいけど任せられない人へ 「任せる相手」は誰がよいのか(3)
『いつも忙しそうにしている割に、あまり成果が出せていない人』
『いつも余裕があるのに、多くの仕事をこなし、成果をバンバン出している人』
その違いは、どこにあるのでしょう。
いろいろな要因があると思いますが、仕事は一人でしているのではなく、チームで行っていますので、
「どれだけ自分の周囲の人の力を生かせているか」
これが大きな要因として考えられます。
これを 『 任せる力 』と呼びたいと思います。
他人に任せることは、簡単なように見えて、実は難しいのです。
失敗すると、かえって自分を忙しくさせることにもなりますので、任せたいけど、任せられず、結局、他人に任せずに、自分でそのままやってしまう人も少なくありません。
この『 任せる力 』を身につけるには、「 技術 」だけでなく「 メンタル 」も非常に大事になります。
「 技術 」だけなら短期間に身につくのでしょうが、「 メンタル 」もありますので、身につけるのが難しいのです。
『 任せる力 』を身につけるには、「 メンタル 」と「 技術 」の両方が必要です。
1章 「メンタル」
2章 「何を任せるか」「任せる目的」
3章 「任せる相手」
4章 「任せる技術」(自分の仕事を整理整頓する)
5章 「任せる技術」(引継の方法)
この順番で説明していきたいと思います。
3章「任せる相手」を説明しています。
自利利他の心がけで「まだ任せられないではなく、任せるから任せられるようになる」と思い、任せようという気持ちになりました。
何を任せるかも、整理できました。
では、誰に任せればよいのか。
どんな人にでも、任せてよいのではありません。
任せる相手を間違えますと、後から、しばらくして、また、自分が受け持つようになる、「リバウンド」状態になるだけです。
では、どんな相手に任せればよいのでしょうか。
仕事内容によって、適材適所、能力、経験等が関係するのは、もちろんですが、その前の段階で、考えてみたいと思います。
任せる相手
「任せる相手」とは、別の言葉でいえば「信頼できる相手」と言えましょう。
どんな人が信頼できるでしょうか。
2つの面を挙げたいと思います。
1.約束を守る人
2.責任感のある人
「責任感のある人」とは、「他者のせいにせず、自分に責任を持つ人」として説明したいと思います。
他者のせいにせず、自分に責任を持つには、外に向いた目を、内に向かせる、愚かな思考回路を賢い思考回路に変えることが大事です。
それを体系的に説明しているのが、仏教の「因果の法則」でした。
因果の法則
どんな結果にも必ず原因がある、原因のない結果は、万に一つ、億に一つ、兆に一つもないとし、私たちが日々の生活で受ける結果は、自分の行いが生み出したものだとしています。
「自業自得」という言葉を、皆さん、聞いたことがあると思います。
財布をズボンのポケットに入れていたが、気がついたら、落としていた。
それを友人に言ったら、
「そんなところに入れているから落ちたんだ。自業自得だよ。」
悪い結果は、明らかにその人の行いが生み出した時に、使います。
自業自得の意味は、業とは行いで、自らの行いの報いを、自らが得ることということです。
自業自得は、もとは仏教の言葉で、仏教でいう自業自得は、自分の善悪の行いで自ら苦楽の報いを受けることで、悪い場合に限らず、よい時も悪い時も、どんな時も、自分の行いが自分の結果を生み出すという意味です。
別の表現では「善因善果 悪因悪果 自因自果」とあります。
因とは原因、行いという意味です。
よい行いはよい結果を生み出す
悪い行いは悪い結果を生み出す
よいのも悪いのも、自分のやった行いが自分の結果を生み出す
だから、
現在の自分の結果は、過去の自分の行いが生み出したものであり、
未来の自分の結果は、今の自分の行いが生み出していくものである。
ドトールコーヒーを知っている人は多いと思います。
そのドトールコーヒーを起こしたのが鳥羽博道氏です。
鳥羽博道氏の座右の銘が、仏教の「因果倶時(いんがくじ)」という言葉です。
『私が座右の銘にしている言葉に、「因果倶時」というものがある。
「原因と結果というものは必ず一致するものだ」と釈迦が説いた言葉だ。
現在の「果」を知らんと欲すれば、
つまり、現在の自分がどういう位置にあるかを知りたいと思うなら、
過去の原因を見てごらんなさいということだ。
原因を積み重ねてきた結果として今日がある。原因と結果は一致している。
そして、未来の「果」を知らんと欲すれば、
つまり、将来自分はどうなるだろうかと知りたいのであれば、
今日一日積んでいる原因を見れば分かる。
自分自身が毎日、未来の結果の原因を積んでいるということだ。
人生の真理をこれほど厳しく、鋭く突いている言葉はないと思う。
この言葉の意味を初めて知った時、
一日、一時間どころか、一分、一秒すらおろそかにはできないと、
息の詰まるような思いがしたものだ。』(『ドトールコーヒー「勝つか死ぬか」の創業記』より)
「過去の因を知らんと欲すれば、現在の果を見よ。
未来の果を知らんと欲すれば、現在の因を見よ。」
「善因善果 悪因悪果 自因自果」
これに則れば、
自分によい結果がくれば、過去に自分がよい行いをしたからだ、もっとよい結果がくるように、もっとよい行いをしようと一層、努力しようと思います。
また、自分に悪い結果がくれば、過去に自分が悪い行いをしたからだ、悪い結果がこないように、悪い行いを改めようと反省し、向上しようと思います。
努力向上の思考回路になるのです。
悪い結果がきた時に、自分の行いに原因があると思えない時、これを「自因自果」に対して、「他因自果」と言います。
自分に悪い結果が現れているのは、他者に原因があるということです。
「他因自果」の思考回路になっている時は「ナワをうらむ泥棒」を思い出せと促しています。
ナワをうらむ泥棒
「ナワをうらむ泥棒」とは、泥棒がナワにしばられて苦しんでいます。
苦しい泥棒は思いました。
「どうしてオレはこんなに苦しいんだ。ナワのせいだ。ナワにしばられているからだ。ナワがほどけば、苦しみから解放される。オレを苦しめているのはナワだ。」
これを「ナワをうらむ泥棒」と言います。
「ナワをうらむ泥棒」を聞いて、この泥棒は賢いと思いますでしょうか。
誰もが愚かと思うでしょう。
泥棒が苦しんでいるのはナワのせいではありません。
ナワが悪いのではなく、ナワにしばられるような、泥棒という悪い行いをしたから、泥棒は苦しんでいるのです。
ナワをうらむ泥棒は、お門違いのものを恨んでいます。
他者を恨んだり、憎んだり、妬んだりするのを愚痴といいます。
愚痴は、愚は愚か、痴はバカということで、バカな心ということです。
因果の法則に反したことを思うのは、バカな心だから、他者を恨むのを愚痴といいます。
「他因自果」で愚痴の心が起きている時は「ナワをうらむ泥棒」を思い出して、自分はナワを恨んでいないか、自分に原因はなかっただろうかと振り返ることによって、心の向きを変えていくことができます。
「愚痴こぼすより汗こぼせ」
他にも「どうすれば、外に向いた目を、内に向かせることができるか。愚かな思考回路を賢い思考回路に変えることができるのか。」
この問いに、さまざまな視点の変化を与えてくれています。
メンタルを重視
さらに、一口に、行いといっても、体の行いだけでなく、口でしゃべること、心で思うこと、3つあると教え、その中で、心で思うこと、心理面、メンタルに、一番重きが置かれています。
心は他人から見えませんから、他人から見える口や体の行いばかり気にして、心でどんなことを思っているか、気にせず、放置している人も多いと思います。
しかし、心が口や体を動かしていますから、心が一番の元です。
同じやるにしても、どんな心でやるかで、結果が大きく異なります。
「君の決心が本当に固いものなら、もうすでに希望の半分は実現している。夢を実現させるのだという強い決意こそが、何にもまして重要であることを決して忘れてはならない。」(リンカーン)
「考えが変われば行動が変わる。
行動が変われば習慣が変わる。
習慣が変われば性格が変わる。
性格が変われば人格が変わる。
人格が変われば人生が変わる。 」
「思考は現実化する」
「あきらめたら そこで試合終了ですよ」(湘北バスケ部 安西監督)
同じやるなら、イヤイヤではなく、自分で動機付けをして、心からやってやろうと打ち込むことが大事です。
どうすれば、外に向いた目を、内に向かせることができるか。
愚かな思考回路を賢い思考回路に変えることができるのか。
いかに大切なことか、わかります。
まとめ
・「任せる相手」とは、
1.約束を守る人
2.責任感のある人
・責任感のある人とは「他者のせいにせず、自分に責任を持つ人」
・仏教の「因果の法則」を学んでみましょう。
・「他因自果」で愚痴の心が起きている時は「ナワをうらむ泥棒」を思い出して、心の向きを変えていく。
・同じやるなら、イヤイヤではなく、自分で動機付けをして、心からやってやろうと打ち込むことが大事。
あさだ よしあき
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