順調な時こそ落とし穴、落ちた時が飛躍のチャンス

こんにちは。こころの悩みサポーターのこうへいです。

先日、ある友人から今までは順調に行っていた仕事がうまくいかなくなってしまった。
今やっていることはもうダメなのではないかという声を聞きました。

順調にいっていたものがうまくいかなくなる。
このまま行けると思っていたものが苦境に陥る。
こういうことがあると、そのショックの大きさから、もうダメなのではと思う人もあるでしょう。

その友人に別の知人が、「伸びるには縮まなけばならないのだよ。ここからがさらに伸びるチャンスなのだ」と励ましているのを聞いてなるほどなぁと思いました。

ずっと順調にいくのではない

以前に聞いた話ですが、株の世界では、どんどん価値が高くなっていく優良な株式でも常に上がり続けることはなく、押し目と言われる、一時的に価値が下がる時があるそうです。

ダイエットでも、はじめてしばらくは順調に体重が落ちていっても、やがて体重が落ちなくなる「停滞期」と言われるものがあるそうです。

この期間はこれまでのように体重が落ちないので、イライラしてダイエットをやめてしまいがちです。

この停滞期は、バランスの良い食事と適切な運動習慣を続けていても避けられないもので、むしろ順調にダイエットができている証とも言えるそうです。

順調にいっている時でも、うまくいかなくなる時や、停滞してしまう時があるものです。
大事なのは、その時にどういう行動を取るかだと言われます。

調子のいい時に大失敗、これが天下取りの元

徳川家康を天下人にしたのは、人生最大の敗北の教訓だったと言われています。

家康の人生最大の敗北は、1573年に武田信玄と戦った三方ヶ原(みかたがはら)の合戦です。

その時の家康は、1560年の桶狭間(おけはざま)の戦いを契機に隣の大国今川氏の支配を脱し、三河(今の愛知県東部)と遠江(とおとうみ・今の静岡県西部)を支配することに成功しました。

そして織田信長と同盟を結び、浅井氏(今の滋賀県を支配していた)と朝倉氏(今の福井県を支配していた)を倒し、戦国武将として大きく飛躍しようとしていた時期でもありました。

そんな時に、当時最強とうたわれていた甲斐(今の山梨県)の武田信玄が上洛(じょうらく)を目指し、家康の支配地に侵攻してきました。

自らに対する過信があったのか、信玄の策略にまんまと引っかかった家康軍は、三方ヶ原(今の静岡県浜松市)におびき出されます。

そして万全の体制で魚鱗の陣を敷いた戦国最強と言われる武田の騎馬隊に家康軍は蹂躙され、多くの死者を出して敗北します。
家康自身も命からがら居城の浜松城に逃げ帰ったと伝えられています。

この時の恐怖は家康に大きなトラウマになったとも言われています。

このように人生最大の敗北を経験した家康ですが、彼はこの敗北は自らを過信したことに原因があると反省をし、武田信玄のこのときの戦術を学びました。

家康の天下取りを決定づけた天下分け目の関ヶ原の合戦の際に、家康はこのときの信玄から学んだ戦術を駆使して、勝利しました。

三方ヶ原の合戦での大失敗があったから、そしてこの失敗から学び取ったからこそ、家康は天下を取ることができたと言えるかもしれません。

※三方ヶ原の合戦については諸説あるようです。気に障られる方があったら、申し訳ありません。

まとめ

「失敗は成功の母」という格言もあります。

順調にいっていたのに、うまくいかなくなると、うまくいっていた分だけ落ち込みも激しくなるものです。

順調にいっているときには思わぬ落とし穴が待っているものです。
順調な時にこそ、気を付けなければならないのですが、それは難しいことです。

うまくいかなくなった時、停滞気味だと感じた時に、その反省をし、学んでいけば、大きな飛躍につながります。

一度の失敗で投げ出さずに、飛躍の縁としたいものです。

後悔と反省の違いは知っていますか?この違いを知れば、後悔が反省に活かされ、向上につながります。
後悔と反省の違い|後悔を反省に活かすために必要な心がけとは?

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こうへい

チューリップ企画で動画制作を担当しています。 大学生のときに同じことの繰り返しの毎日にどんな意味があるのかと悩みました。しかも友人に相談しても分かってくれる人がなかったことが大きな苦しみでした。 その時に読んだ仏典の言葉に励まされました。その後、講演会の運営の手伝いをする機会があり、さまざまな悩みを持って参加した多くの人たちの声を聞かせてもらいました。私も学びながら、皆さんの悩みに寄り添っていける情報を発信していけたらと思っています。
心が穏やかになった人へ
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