大きな苦しみをどう乗り越えたらよいか|仏教の「諦観」という思考法
以前このブログで紹介した『君たちはどう生きるか』の内容が多くの方から反響をいただきました。
今回はその第2弾として書いてみたいと思います。
取り返しのつかない失敗をした時に直面する自分
コペル君は友達を裏切り、そのために友達に絶交されるのではないかと怖くなり、とても学校には行けないと不登校になってしまいます。
このまま死んでしまったほうが良いとさえ思い悩みます。
また友達を裏切ったという事実を何とかごまかすことはできないだろうか 。
情状酌量(じょうじょうしゃくりょう)してもらえる言い訳が何かないだろうかと考えます。
コペル君は面と向かって謝る勇気が出せず、なんとか今の苦しみから逃れたくて、心が張り裂けそうでした。
コペル君が苦しみを乗り越えることができたのは、良い縁に恵まれたことが大きいと思います。
適切なアドバイスをした一人として、前回はコペル君のお母さんの言葉を通してお話ししましたが、もう一人この小説の最も大事な登場人物である叔父さんから受けたアドバイスがコペル君に正しい選択をさせたといえると思います。
苦しみを乗り越えるには、失敗を受け入れること
そのときに叔父さんがこのように言うのです。
たいていの人は、何とか言い訳を考えて、自分でそう認めまいとする。
しかしコペル君、自分が誤っていた場合にそれを男らしく認め、
そのために苦しむということは、それこそ天地の間でただ人間だけができることなんだよ。『君たちはどう生きるか』より
叔父さんのアドバイスは「言い訳を考えるな。友達を裏切ったことをしっかりと認めて、今君にできることは謝罪だけだ」というものでした。
「決まってるじゃないか。君のやることは謝罪だよ」と言うのです。
言い訳やごまかしでその場を取り繕うとせずに、自分のやったこと迷惑をかけたことをしっかりと反省し、お詫びする。
この人間として大切なことを叔父さんは教えます。
苦しみをどう乗り越えたらよいか|仏教の「諦観」という思考法
仏教に「諦観(たいかん)」という言葉があります。
「諦観(たいかん)」とは、あきらかに見るということです。
なぜ自分がそういう結果になってしまったのか、その原因をあきらかに見ることを「諦観」と言います。
特に悪い結果が来たときに、なかなか私たちはこの「諦観」ができません。
言い訳を言ったり、ごまかしをしたり、他の人のせいにしたりして、自分がそういう原因を作ってしまったことをあきらかに見ることができなくなってしまいます。
コペル君は叔父さんのアドバイスを通して、この「諦観(たいかん)」という大切な教えを実行し、苦しみを乗り越えたのでした。
これはなかなかできることではありません。
私の住んでいる富山県で、市会議員が政務活動費を私的なことに使い、それがニュースで大きく取り上げられたことがありました。
しかもそれをごまかしたり言い訳をして、潔く謝罪する人はほとんどなく、世間から顰蹙(ひんしゅく)をかいました。
大人で、しかも地域の代表のような役割の人でさえなかなかできないことをコペル君はしたのです。
まとめ
取り返しのつかない失敗をしたとき、出てくるのは、ごまかしや言い訳の心です。
ところがごまかしや言い訳では、苦しみを乗り越えることはできないのです。
苦しみを乗り越えるには「失敗」を受け入れることが解決策です。
失敗を認めるだけで、驚くほど心が前向きに向かいます。
大人になっても難しいことですが、諦観(たいかん)をして深みのある人生にしていきたいですね。
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みさき
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