恨みを抱く人に復讐するのは損か?得か?|法然上人のお父様の遺言
こんにちは。こころの悩みサポーターのこうへいです。
先日、ある友人と話をしていると「自分はある人にいじめられている。オンラインでの会合の時間が変更になったのに私だけ教えてもらえなくて恥ずかしい思いをさせられた。その前は会議の持ち物の連絡が私だけこなかったので恥をかかせられた。何かいい復讐の方法はないだろうか」との話題が出ました。
友人が腹を立て、相手を恨む気持ちは理解できました。
しかし私に復讐の相談をされても困るなと思いました。
インターネットで調べてみると復讐代行なるサービスが出てきました。
何が現実の話で何がドラマや小説の話なのか分かりませんが、恨みを抱く相手に復讐をしたいと思っている人は少なくはないのかもしれません。
復讐を誓う我が子に遺した法然上人のお父様の遺言
復讐や仕返しと聞くと、法然上人のお父様の遺言を思い出します。
法然上人は平安時代の末期に活躍された高僧で、智慧第一、日本一の仏教の大学者と称賛されていました。
親鸞聖人の先生であり、親鸞聖人は「法然上人におあいできなかったら、永遠に苦しみ続けていたに違いない」とまで仰っています。
法然上人のお父様の遺言とはどのようなものだったでしょうか。
弊社発行の月刊誌『とどろき』で以前紹介した記事がありましたので、引用します。
法然上人は、今から約八百七十年前、美作(みまさか)国(今の岡山県)の武士、漆間時国(うるまのときくに)の子として誕生された。
幼名は勢至丸(せいしまる)といわれた。「勢至(せいし)」とは、本師本仏の阿弥陀仏の智慧を象徴する、菩薩の名である。勢至丸は、その名のとおり極めて賢い子供であったと、種々の伝説は伝えている。勢至丸が九歳の時、事件は起きた。
このころ、時国の所領の近くに、源定明という武者があった。ふとしたことから時国を大層恨み、ある夜半、大勢の手下とともに時国の館を襲ったのである。
不意の出来事に時国一人奮戦したが、多勢に無勢、たちまち切り伏せられてしまった。騒ぎに目を覚ました勢至丸が時国の寝所に行ってみると、すでに賊どもの姿はなく、血まみれの父が、臨終の虫の息で横たわっていた。
「父上、さぞかし無念でございましょう。武士が互いに一騎打ちをして、武芸つたなく敗れたのであればともかく、寝首をかきに来るとは何たる卑怯な賊ども。勢至丸が成長した暁に、敵は必ず取ってごらんに入れます」
けなげに敵討ちを誓う勢至丸、しかし、時国は必死にこうさとした。
「勢至丸よ、志はうれしいが、それは父の望みではない。無念の死はわが前世(ぜんせ)の業縁(ごうえん)によるもの。もし敵討ちが成就しても、敵の子はまた、そなたを敵と恨むだろう。そうなれば、幾世代にもわたって敵討ちは絶えない。愚かなことだ」
「父上!」
はらはらと涙を流す勢至丸の手を、かすかに握り、最後の力を振り絞る。
「父のことを思うてくれるのなら、出家して日本一の僧侶となり、菩提(ぼだい)を弔ってくれ……よいか……これが父の最後の望みだ」
言い終わるや、息絶えた。
この遺言は、勢至丸の心中深く刻み込まれたのである。
復讐をすると果てしなく復讐を繰り返す
恨みを晴らすために復讐や仕返しをすると、そのときはスカッとします。
しかし復讐された相手は恨みを抱きます。
そして仕返しをしてくるでしょう。
そうなるとまたこちらが恨みを抱き、復讐をする。
果てしなく恨みと復讐を繰り返し苦しむ一生で終わってしまいます。
そのことを知っていた時国(ときくに)は我が子勢至丸(せいしまる)に敵討ちを望まなかったのでしょう。
お父様の遺言に従われた法然上人は、仏教史上に燦然と輝く高僧となられ、どれだけの人を本当の幸せに導かれたか分かりません。
もし勢至丸が復讐や仕返しの繰り返しで一生を終えていたら、多くの人の真実の救いはなかったかもしれません。
人生には復讐を繰り返している時間はない
一生は長いようであっという間です。
女流作家の林芙美子さんは
花のいのちはみじかくて、苦しきことのみ多かりき
と言い残しています。
戦国時代最強の武将の一人とも言われる上杉謙信は、辞世の言葉として次のような言葉を遺しています。
一期の栄は一盃の酒 四十九年は一酔の間 生を知らず死また知らず 歳月またこれ夢中の如し
あっという間の短い一生であったと言い遺しています。
あっという間に過ぎていく人生を復讐のために使うのは、本当にもったいないことです。
まとめ
相手を許そうとか恨みを抑えようと言われても、簡単に許せるものでも抑えきれるものでもないと思います。
しかし、恨んでいる許せぬ相手のために、貴重な人生の時間を使ってしまうのは嫌でしょう。
恨み憎しみを抱えて復讐に生きるよりも、「生きてきてよかった」と心から喜べる人生にしたいものです。
人生は長いようであっという間だと言われます。
こちらの記事で詳しく紹介しています。ぜひご覧ください。
呼び名は変わっても体感時間は変わらない
こうへい
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