大事な人を亡くした悲しみを和らげてくれる「諸行無常」の教え
現代に仏教を伝える研究家のあさだです。
テレビのニュースを見ますと、毎日、交通事故で亡くなる方があります。
大きな病院に勤めている人の話を聞くと、ニュースには流れませんが、毎日、病気で亡くなる人がいかに多いか、気づかされます。
亡くなった人には、家族、友人がいますので、毎日、どれほど多くの人が、大事な人を亡くして悲しんでいるのでしょうか。
これを「愛別離苦(あいべつりく)」といいます。
愛する人と別離、別れる苦しみ、悲しみということです。
その悲しみを和らげてくれる、1つの方法を、ブッダ、釈迦の教えから紹介します。
山田美智子さん(仮名)のお話
結婚して20年を記念して、夫婦で旅行に行くことにした。
夫婦2人だけの旅行は久しぶりだった。
観光地で使い慣れないスマートフォンで写真を撮ったり、ご当地名産を食べたりしながら、心地よい疲れで、ホテルに到着。
温泉にゆっくり入り、おいしいものも食べた。
翌朝、夫がいつまでたっても起きてこないので、寝室を行くと息をしていない。
すぐにフロントに連絡、救急車に運び込まれ、病院に着いたが、時すでに遅しであった。
心疾患だった。
「昨日まであんなに元気だったのに・・・」
しばらくの間は現実を受け入れることができなかった。
やがて「私がもっと早く気がつけば、こんなことにはならなかったのではないか」と自分を責めたり、このさびしい毎日がずっと続くのではないかと不安に思ったり、これから先、何をやっても、うまくいかないのではないかと悲観的になったりと、なかなか立ち直ることができなかった。
そんな私が立ち直るのに最も役立ったことの1つが、
「もっと悪い事態、最悪の事態が起こっていたら、どうだろうか」
と考えたことだった。
周囲からは、いつまでも悲しみにふけるのではなく、前向きに考えたらどうかと言われるが、そうはいっても、心はついていかない。
「夫が子供を車に乗せて移動中に心疾患になっていたら・・・」
確かにそうだ。もしそうだったら子供も失っていたかもしれない。
そう考えた時、子供が今、元気に生活していることに、感謝の心が起きてきたのである。
その時、悲しみが少し和らいだ。
その経験から、毎日、悲しくても、何か感謝できることはないか、考えるようにした。
「友人が心配してくれた」とか「子供から電話があった」など。
感謝できることを考えると、自分が忘れている自分の幸せなところに気づくようになる。
それが良かった。
ブッダの「諸行無常」の教え
仏教を説かれたブッダ、釈迦は、私たちが生きている世界を「諸行無常」と教えられています。
「諸行無常」と聞けば、平家物語の冒頭を思い出す方もあるでしょう。
諸行無常とは、諸行とはすべてのもの、無常とは、常がない、続かないということで、すべてのものは変わり続けているということです。
毎日のニュースは、私たちの世界は諸行無常であることを教えてくれていると言えます。
「諸行無常」は、大げさなことでもなければ、杞憂(きゆう)でもなく、実際に起きるかもしれない最悪な事態を教えてくれている言葉なのです。
仏教で教えられる「諸行無常」の真実を知れば、山田美智子さんのお話のように、悲しみが和らぐこともあるでしょう。
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あさだ よしあき
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