亡くなった母を想う④|亡くなった親への孝行とは?

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「生きる喜びをすべての人に」が理念のチューリップ企画で3年前から働き始めた映画事業部のヒロカズです。

最近肝臓の定期検診で超音波検査を受けました。検査技師の女性の真剣な表情に毎回、ドキドキしますが、肝臓の状態は安定していました。まずは一安心ですね。今日は夏になると思い出す亡くなった人の記憶です。

亡くなった母を思い出す季節

母が亡くなって今年で25回目の命日を迎えようとしています。

私が中学3年の夏の日に46歳の若さで母は亡くなっていきました。死因は大腸ガンです。
闘病生活5年、私が小学5年の頃からほとんど入院していた母でしたから、母のいない生活が当たり前になっていました。
悲しいことに亡くなった母との思い出はほとんどないのが実際のところです。
母がどんな人だったかは葬儀に訪れた元会社の同僚や高校時代の同級生が涙ながらに語る話からほんの少し垣間見たくらいです。

責任感の強い人のようでした。勤めていた生命保険会社をやめて子育てにあたったということですから、子供を育てることに強い責任感を持っていたのでしょう。
そんな母でしたから、きっと子供のそばを離れて入院生活をし続けることは耐え難いことだったに違いありません。
当時受けた大腸ガンの手術は開腹手術だったので、きっと肉体に相当の負担がかかったことと思います。

にもかかわらず、自宅療養中のときでもベッドから起き上がり、食事の準備をしていたことが幼心に焼き付いています。
のちに仏教で「父母の恩重きこと天の極まりなきがごとし」という親の恩を種々学ぶことになったとき、亡くなった母から受けた恩を一つも返すことができないまま別れることになった人生の残酷さを嘆かずにはおれませんでした。

亡くなった後では遅い

「すでに無常(むじょう)の風きたりぬれば すなわち二つの眼(まなこ)たちまちに閉じ、ひとつの息ながく絶えぬれば」

(蓮如上人(れんにょしょうにん))

ここで「無常(むじょう)の風きたる」とは死んでいくことを言います。

人が死んでいく様子を「二つの眼(まなこ)たちまちに閉じ、ひとつの息ながく絶えぬれば」と言われていますが、まさに私の母がこの言葉通りの最後でした。
目の前で母親が亡くなった衝撃は15歳の少年にとって、見える世界が粉々に砕けたような衝撃でしたが、今でもこの蓮如上人(れんにょしょうにん)の言葉を聞くたびに、当時の衝撃とともに、その光景がよみがえってきます。

しかし、無常(むじょう)がやってきて亡くなっていくのは亡くなった母だけではありません。
もう100年もすれば、今生きているすべての人が無常(むじょう)の風がやってきて亡くなっていくのが現実ではないでしょうか?

亡くなった親への孝行

私たちには思ったほど親の恩に報いる時間がないのかもしれません。

親の恩に報いるには親が子に願っていることを実行する以外にないと言われます。
「肩を揉んでほしい」と言われれば肩を揉み、「買い出しに行ってもらいたい」と言われれば必要なものを買い出しに行くようなことは恩に報いることになると思いますが、親が子に一番望んでいることを実行できれば、一番の恩返しになるはずです。
親の願いはきっと「ただ幸せになってもらいたい」ということ以外にはないのではないでしょうか?

まとめ

これが一番の願いならば、すでに親が亡くなった人であっても、亡くなった親の恩に報いることができます。
今、最高に幸せな人はそのまま最高の恩返しをしていることになるでしょう。
無常(むじょう)の風がやってきて亡くなる前に最高の恩返しができる人が最も幸せな人に違いありません。
生きる目的と親の恩の関係を示す仏教に触れることはそのヒントをつかむきっかけになるのかもしれません。

第5回目はこちら

亡くなった父に想う⑤|「ずーっと」を「しばらく」に変えてみる

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ヒロ☆カズ

チューリップ企画のヒロ☆カズです。 31歳で肝臓の病気にかかり、2度の入院を経験しました。朝起きて仕事に行く。休日は友人と出かけるという当たり前の日常を失い、初めて、朝起きて仕事に行けることが当たり前でないことに気が付きました。 当たり前の1日がかけがえのない1日であることに気づけば、悩みが感謝の心へ変わるのかもしれません。闘病中に読んだ本や勇気をもらったさまざまな言葉からヒントを紹介したいと思います。
心が穏やかになった人へ
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