亡くなった人を想う③|亡くなった友人からの遺言
「生きる喜びをすべての人に」が理念のチューリップ企画で3年前から働き始めた映画事業部のヒロカズです。毎年、この時期になると追悼法要の案内がありますが、案内を通して思い出す友人があるので、今日はそのことについて書きたいと思います。
突然亡くなった友人
学生時代に亡くなった友人は22歳でこの世を去っていきました。原因は急性心不全です。
一緒に出かけたその日の夕方、突然亡くなったのです。
前日、一緒に出かける計画を練っていた時には、まさか友人との別れが次の日にやってくるとは夢にも思っていませんでした。
亡くなった友人は同じ大学の同じ学部で、年齢は私の一つ下でした。
高校時代は剣道部で鍛えた為かテレビゲームにはまったく関心がなく、大学時代も外に出てよく体を動かしていました。
行動派にもかかわらず、古典や日本史が好きだった関係で、私が学んでいた浄土真宗、親鸞聖人の古典を通して、互いの人生観を語り合う仲でもありました。亡くなった友人は人生についてストレートに語ることができる数少ない人だったのです。
大事な友人が、目の前で亡くなったという現実は真夏の空から雪が降ってくるような衝撃でしたが、亡くなる前日に友人とやりとりした内容が、その現実を一層忘れることができないものにしています。
実は友人から、亡くなる前日に浄土真宗の古典の中に出てくるある言葉の意味について、初めて納得がいったという話を聞いたのです。その言葉とは。。。
「仏法(ぶっぽう)には明日ということはあるまじき」
亡くなった友人の遺言
ここで「仏法(ぶっぽう)には明日ということはあるまじき」とあるのは「仏法(ぶっぽう)に明日はない」ということです。
ただ、仏法(ぶっぽう)で言われなくても明日の命の保証がどこにもないのが、私達人間のはかなさではないでしょうか?
もし、明日亡くなっていくとなったら、仕事をしている人はどれだけあるでしょう。きっと仕事を止めて最も大事なことに時間を使うに違いありません。
その言葉の意味が心にコトっと収まったとニコニコしながら語っていた友人が、次の日、突然、目の前で亡くなったのです。
「『仏法(ぶっぽう)には明日ということはあるまじき』の言葉の意味がわかった」
ということが亡くなった友人の遺言となりました。
「今日とも知らず明日とも知らず 遅れ先立つ人はもとの雫(しずく) 末(すえ)の露(つゆ)よりもしげし」と言えり。
-蓮如上人(れんにょしょうにん)-
亡くなって今年で18年目。18回目の追悼の機会です。亡くなった友人に胸を張ることができる人生を送っているかどうかというと反省しかないと思いますが、亡くなった友人の分まで悔いのない1日1日を積み重ねていきたいと思います。
まとめ
大切な人を亡くし、なかなかその現実を受け止められない人は少なくないのではないでしょうか?
特に目の前で亡くなっていくと「もっとこうしておけば」「ああしておけば」という思いが駆け巡るのかもしれません。私がそうでした。
そんな時、後悔よりも行動、考察よりも実践、後悔して過ごす1日も1日なら、行動して過ごす1日も1日です。
限られた時間の過ごし方で悲しみが悲しみのままで終わるか、そうでなくなるかが分かれてくるのでしょう。
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ヒロ☆カズ
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